Category: 知られざるブラックカルチャー
アメリカには、普通の時間とは別に、B.P.Time(Black People Time)というものが存在する。またはC.P.Time (Colored People Time)とも言われる、黒人タイム。
B.P.タイムというのは、簡単に言えば以下のようなもの。
世間一般の時間通りに事が始まらない。
世間一般の時間通りに、事が終わらず延長される。
ブラックコミュニティには、彼ら独特の時間の流れという物があって、その流儀がある。
とりわけ時間にきっかりとした国、日本で育った私にとっては、これに慣れるのに時間がかかった。。。。いや、いまだに理解に苦しむ点である。
例えば、夕方6時半開演のコンサートがシカゴのサウスサイド(黒人居住区)であった。チケットにはしっかりと「5時半開場。6時半開演」と明記してある。
指定席ではない。席は早い者がちである。当然いい席から埋まるであろう。「開演」というのは、私の、いや一般人の頭の中では、舞台の幕が上がる時間の事だ。あるいは司会者が挨拶をする時間である。だから私は、少しでもいい席を取るために、5時45分くらいには到着するつもりで準備した。
予定通り、5時45分に到着。会場に入ったら、「あれ? 誰も居ない。。。」
ちょっと早過ぎたかな?と思ったが、席に座って待つ事に。ところが6時になっても客は1人も来ない。6時半頃になってやっと黒人客たちが少し入って来た。もう開演の時間であるが、全く何も始まる気配すらない。
開演時間から1時間経った7時半過ぎ。随分と客も入って来て、やっと席が埋まって来た。
そして8時15分。やっと司会者の挨拶。遅れた事への謝罪は一切無く、最初から8時半くらいに開演する予定だったかのようにコンサートは始まった。
普通のコンサートなら、2時間くらいの長さが普通。長くて3時間だ。
ところがどっこい。このコンサートは始まるのも遅かったが、コンサートも長かった。会場を出たのは12時半。平日の夜である。
驚くのは、会場に来ている客たちから一言も「始まるのが遅いじゃないか」などという文句が漏れない事。そこの会場に居たアジア人は私1人であったが、イライラしていたのもおそらく私一人だったと思う。
元々客たちも来るのが遅いのであるが、時間に関して気が長いというか、最初からチケットに記載してある時間なんて当てにしていないのである。
夫に聞いたら、「B.P.タイムでは、6時半開演と書いてあったら6時半に家を出るんだよ」とこともなげに言われた。半分冗談であるが、これは半分本当なのだ。だって本当に人々は7時半頃に一番入って来ていたもの。
コンサートなどの催し物も遅れる&長いのが一般であるが、冠婚葬祭もそうなのである。ブラックコミュニティのお葬式、結婚式は時間通りに始まらない。
ひどかったのは、義理従姉妹エミリーの結婚式。10時に教会で結婚式だったが、始まったのが12時。ここでも招待客はおしゃべりで時間をつぶしているので、誰も遅れている事に文句を言わない。式が遅れたので、当然その後の披露宴もずれこんで遅くなる。披露宴の開始は予定よりも3時間遅れた。そう、式の方が遅れた上に長引いたからだ。
さすがに式でも待たされ、披露宴でも待たされた親戚には文句を言い始める人も居た。2時間くらいの遅れだったらOKだが、3時間は我慢出来ないということだろうか?
ここら辺の彼らの「我慢の限界」というのも理解できない。私にとっては30分の遅れでもう諦めているので、2時間、3時間になると呆れ返っている極地に達していて逆に感じなくなっているが。
マイケル・ジャクソンの盛大なメモリアルサービスが、全国生放送で大々的に流れたのも記憶に新しい。私はこの時義理両親の家に居て、当然義理両親も義理弟も皆観るんだろうな、と思っていた。
ところが、「開始時間」のちょっと前からソファに座って待っていたのは私だけ。誰も来ない。そしてテレビの中のメモリアルサービスも時間通りに始まらない。大分遅れている。開始どころか、ようやくジャクソンの家族の車が、お葬式会場からセンターに到着した。
しばらくしてから、義理弟がやって来た。「随分遅れてるよ。まだ始まってない」と私が言ったら、「当たり前じゃん! 黒人のお葬式だよ? 遅れるのが普通だよ」と言われた。そうか。。。うっかり肝心な事を忘れていた。マイケル・ジャクソンだからといって、放送時間があるからといって、例外ではなかった(笑)
いよいよサービスが始まった時、義理ママがテレビの前にやってきた。何と言うタイミング。まるで本当に始まる時間を分かっているかのように。こういう黒人的な時間のタイミングみたいなものは、体に刻まれていないとなかなか測るのが難しい。
「待ち合わせ時間の15分前には到着する」というような、日本の常識、日本の時間の観念。それを植え付けられている私には、このルーズさは考えられない文化なのであるが、郷に入りては郷に従え、なのである。
だが、もちろんアメリカでも日本人と会う時は日本式時間を使う。これをJ.P.Time (Japanese People Time)と我が家では呼ぶ(笑)。逆に夫は、このJ.P.タイムに最初驚きを隠せなかった。アメリカ人は黒人でなくとも、日本人程時間に厳しくはないから。
シカゴに来た日本人の友人や知人と待ち合わせして食事するときなど、夫を同伴する事も多い。会う相手は初対面の事もある。
待ち合わせの時間の10分前に行こうとする私に、夫は「なんでそんなに慌てるの? ちゃんと時間には着けるよ」と訝しがる。しかし待ち合わせ場所に着くと、既に相手は私たちより先に来ている事実に毎回夫はビックリする。「だから言ったでしょ?」となる。日本人って言うのはこういうものなのよ。
そして万が一遅れる場合、待ち合わせ時間ピッタリに携帯が鳴り、「ごめんなさい。ちょっと遅れる」だとか、謝罪の電話が入る。これにも夫は驚く。
日本人は時間に対してが一番礼儀正しいし、厳しいかもしれない。時間にルーズだということは、人間としての信頼を失う社会だから。
黒人がする事は何でも遅れるか?というと違うので、これまた黒人でない者にとっては感覚を把握するのが難しい。
彼らは、仕事に関して(職種にもよる)や、会う人によってはきちんと時間を守り、B.P.タイムが通用する所をちゃんと心得ている。
ブラックコミュニティの中から抜け出した事が無く、黒人経営の職場でしか働いた事が無い人は、完全に時間に甘やかされている。多少の遅刻で首にされる社会ではないから。そしてそれがコミュニティの外で通用しない事を知らない。
コミュニティの外に出た黒人たちは、体の中に「一般時間」と「B.P.タイム」が仕分けられていて、それを器用に使い分けるのだ。
私は一度、「黒人のバンドだから遅れるだろう」と思って撮影に行くのに遅れてしまった事がある。何故なら、彼らのコンサートは遅れるのが当然だと思っていたから。何度も待たされているから。
ところがなんと時間通りに始まって、時間通りに終わったのだ。私は最初の30分を逃した。
なんでそのバンドが時間通りに行ったかというと、主催者側が白人だったから。これもうっかりしていた事であった。
黒人でない者が、B.P.タイムを身につけるのは、どうも無理なようである。彼らがJ.P.タイムで動くのがきっと無理なように。
B.P.タイムというのは、簡単に言えば以下のようなもの。
世間一般の時間通りに事が始まらない。
世間一般の時間通りに、事が終わらず延長される。
ブラックコミュニティには、彼ら独特の時間の流れという物があって、その流儀がある。
とりわけ時間にきっかりとした国、日本で育った私にとっては、これに慣れるのに時間がかかった。。。。いや、いまだに理解に苦しむ点である。
例えば、夕方6時半開演のコンサートがシカゴのサウスサイド(黒人居住区)であった。チケットにはしっかりと「5時半開場。6時半開演」と明記してある。
指定席ではない。席は早い者がちである。当然いい席から埋まるであろう。「開演」というのは、私の、いや一般人の頭の中では、舞台の幕が上がる時間の事だ。あるいは司会者が挨拶をする時間である。だから私は、少しでもいい席を取るために、5時45分くらいには到着するつもりで準備した。
予定通り、5時45分に到着。会場に入ったら、「あれ? 誰も居ない。。。」
ちょっと早過ぎたかな?と思ったが、席に座って待つ事に。ところが6時になっても客は1人も来ない。6時半頃になってやっと黒人客たちが少し入って来た。もう開演の時間であるが、全く何も始まる気配すらない。
開演時間から1時間経った7時半過ぎ。随分と客も入って来て、やっと席が埋まって来た。
そして8時15分。やっと司会者の挨拶。遅れた事への謝罪は一切無く、最初から8時半くらいに開演する予定だったかのようにコンサートは始まった。
普通のコンサートなら、2時間くらいの長さが普通。長くて3時間だ。
ところがどっこい。このコンサートは始まるのも遅かったが、コンサートも長かった。会場を出たのは12時半。平日の夜である。
驚くのは、会場に来ている客たちから一言も「始まるのが遅いじゃないか」などという文句が漏れない事。そこの会場に居たアジア人は私1人であったが、イライラしていたのもおそらく私一人だったと思う。
元々客たちも来るのが遅いのであるが、時間に関して気が長いというか、最初からチケットに記載してある時間なんて当てにしていないのである。
夫に聞いたら、「B.P.タイムでは、6時半開演と書いてあったら6時半に家を出るんだよ」とこともなげに言われた。半分冗談であるが、これは半分本当なのだ。だって本当に人々は7時半頃に一番入って来ていたもの。
コンサートなどの催し物も遅れる&長いのが一般であるが、冠婚葬祭もそうなのである。ブラックコミュニティのお葬式、結婚式は時間通りに始まらない。
ひどかったのは、義理従姉妹エミリーの結婚式。10時に教会で結婚式だったが、始まったのが12時。ここでも招待客はおしゃべりで時間をつぶしているので、誰も遅れている事に文句を言わない。式が遅れたので、当然その後の披露宴もずれこんで遅くなる。披露宴の開始は予定よりも3時間遅れた。そう、式の方が遅れた上に長引いたからだ。
さすがに式でも待たされ、披露宴でも待たされた親戚には文句を言い始める人も居た。2時間くらいの遅れだったらOKだが、3時間は我慢出来ないということだろうか?
ここら辺の彼らの「我慢の限界」というのも理解できない。私にとっては30分の遅れでもう諦めているので、2時間、3時間になると呆れ返っている極地に達していて逆に感じなくなっているが。
マイケル・ジャクソンの盛大なメモリアルサービスが、全国生放送で大々的に流れたのも記憶に新しい。私はこの時義理両親の家に居て、当然義理両親も義理弟も皆観るんだろうな、と思っていた。
ところが、「開始時間」のちょっと前からソファに座って待っていたのは私だけ。誰も来ない。そしてテレビの中のメモリアルサービスも時間通りに始まらない。大分遅れている。開始どころか、ようやくジャクソンの家族の車が、お葬式会場からセンターに到着した。
しばらくしてから、義理弟がやって来た。「随分遅れてるよ。まだ始まってない」と私が言ったら、「当たり前じゃん! 黒人のお葬式だよ? 遅れるのが普通だよ」と言われた。そうか。。。うっかり肝心な事を忘れていた。マイケル・ジャクソンだからといって、放送時間があるからといって、例外ではなかった(笑)
いよいよサービスが始まった時、義理ママがテレビの前にやってきた。何と言うタイミング。まるで本当に始まる時間を分かっているかのように。こういう黒人的な時間のタイミングみたいなものは、体に刻まれていないとなかなか測るのが難しい。
「待ち合わせ時間の15分前には到着する」というような、日本の常識、日本の時間の観念。それを植え付けられている私には、このルーズさは考えられない文化なのであるが、郷に入りては郷に従え、なのである。
だが、もちろんアメリカでも日本人と会う時は日本式時間を使う。これをJ.P.Time (Japanese People Time)と我が家では呼ぶ(笑)。逆に夫は、このJ.P.タイムに最初驚きを隠せなかった。アメリカ人は黒人でなくとも、日本人程時間に厳しくはないから。
シカゴに来た日本人の友人や知人と待ち合わせして食事するときなど、夫を同伴する事も多い。会う相手は初対面の事もある。
待ち合わせの時間の10分前に行こうとする私に、夫は「なんでそんなに慌てるの? ちゃんと時間には着けるよ」と訝しがる。しかし待ち合わせ場所に着くと、既に相手は私たちより先に来ている事実に毎回夫はビックリする。「だから言ったでしょ?」となる。日本人って言うのはこういうものなのよ。
そして万が一遅れる場合、待ち合わせ時間ピッタリに携帯が鳴り、「ごめんなさい。ちょっと遅れる」だとか、謝罪の電話が入る。これにも夫は驚く。
日本人は時間に対してが一番礼儀正しいし、厳しいかもしれない。時間にルーズだということは、人間としての信頼を失う社会だから。
黒人がする事は何でも遅れるか?というと違うので、これまた黒人でない者にとっては感覚を把握するのが難しい。
彼らは、仕事に関して(職種にもよる)や、会う人によってはきちんと時間を守り、B.P.タイムが通用する所をちゃんと心得ている。
ブラックコミュニティの中から抜け出した事が無く、黒人経営の職場でしか働いた事が無い人は、完全に時間に甘やかされている。多少の遅刻で首にされる社会ではないから。そしてそれがコミュニティの外で通用しない事を知らない。
コミュニティの外に出た黒人たちは、体の中に「一般時間」と「B.P.タイム」が仕分けられていて、それを器用に使い分けるのだ。
私は一度、「黒人のバンドだから遅れるだろう」と思って撮影に行くのに遅れてしまった事がある。何故なら、彼らのコンサートは遅れるのが当然だと思っていたから。何度も待たされているから。
ところがなんと時間通りに始まって、時間通りに終わったのだ。私は最初の30分を逃した。
なんでそのバンドが時間通りに行ったかというと、主催者側が白人だったから。これもうっかりしていた事であった。
黒人でない者が、B.P.タイムを身につけるのは、どうも無理なようである。彼らがJ.P.タイムで動くのがきっと無理なように。