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シカゴからダイレクトにお届けする、知られざる黒人文化あれこれ。

Category: 知られざるブラックカルチャー
男同士の挨拶
日本でもかなり前から、ブラックカルチャーなるものが紹介されるようになった。

ドレッドヘアにする日本人の若者まで沢山居た時代もある(今も??) 直毛にわざわざ、アフロというか乱暴な爆発パーマをかけ、それからドレッドにすると言う。美容院で10時間ほど過ごすらしい。アフロをかけた時点で美容師も疲れてしまい、歌舞伎の獅子のような頭で外にランチ休憩に行って、世間の注目を浴びた知り合いの男性も居る。ファッションのための忍耐。その日本男児の気合いとご苦労は、「Good Hair」にも書いたがアメリカの黒人女性にも負けず劣らず。

それからヒップホップ系ファッションの到来で、ジーンズをやたらと下げて歩く日本人男性も居た(今も??)  そんな格好などしない黒人たちからは、失笑もかっていた半ケツ見せファッション(腰パンと言うらしい)。アメリカでも、そういう格好をしていた黒人というのは、一部である。
黒人というのは、お尻がポコッと形よく出ているので、腰の途中で止めても、山のてっぺんで引っかかる。かなりズリ下げていても、腰の位置が高いので、短足に見えない(例外は居る)。
しかし、日本の胴長短足君がやっちゃうと、ヘタすりゃ股下40cmくらいになる。平らなお尻で止めようとするので、ベルトでかなり絞めないと本当に落ちてしまう。ファッションはど根性である。

何かに憧れたりして、何かになりきったりするのは若者の特権なので、それはそれでいいと思う。若気の至りを利用して、したい年齢の時に十分して、卒業しておくべきだ。
高齢になって目覚めてドレッドヘアにしたりなんかすると、そもそも弱ってきている頭皮を痛めてしまって、二度と髪が生えてこなくなる恐れもあるから。

文化の浸透というのはすごい。近年はスピードも速い。元気な文化というのは、どんなに変でも可笑しくても広まって行く。
逆にどんなに高尚な文化でも、「保護しよう」なんて考えられる文化は、既に廃れている証拠なのである。
「元気な」ヒップホップ文化は、誰が止めようと思っても、止められない勢いを持っている。

しかし、文化というのは真似されても、表面だけが取り入れられて終わってしまう物が圧倒的に多い。
カッコいいからと模倣しても、その歴史や背景、哲学や精神までは受け継がれない。そもそもバックグラウンドが違う文化なのだから、受け継げるわけもないのである。
中身は完全に無視して、表のファッションだけを受け継ぐのも、それはそれでいつの時代もあることである。そもそも、「軽い」から流行るのだ。いや、軽い部分だけ、流行るのだ。

ブラックカルチャーに憧れる若者は、日本人だけではなく、アメリカの白人の若者たちも同じ。夏休みに、シカゴの郊外の白人居住地や周辺の白人の多い州から、「冒険」しにシカゴの街にやって来る若者たち。黒人の多い店に行き、ちょっとイキがってみせる。

そこで多いのは、うちの夫を含め、店に居る黒人たちに、やたらと汚い英語で喋りかける白人の若者たち。そういう言葉が、カッコいい「黒人英語」だと勘違いしているのだ。テレビや映画で「学んだ」ブラックイングリッシュを駆使し、「俺は話せる白人だぜ」とでも言いたげに、「”ヨーヨー”英語」で頑張る。
迷惑するのは、白人にそんな英語やラッパージェスチャーで話しかけられる黒人たち。口をあんぐり開けて、「エミネムになりたい症候群」の白人若者たちを見つめてしまう。

“mother fu**er”なんて言葉が、一般の黒人たちの挨拶言葉くらいに思われているとしたら、それはメディアの重大責任であろう。そして、「冒険しに来る」白人の若い男の子たちは、やたらとこういう言葉を使うのである。
。。。。無理しすぎ。。。。

模倣というのは、やたらむやみにしても、失笑をかうだけなのである。コピー商品、模倣建築、模倣キャラクター。。。真似されている方は、失笑を通り越して不愉快になるときも多い。表面だけ真似をして、「アンタたちの仲間に入れてよ」と訴えても、相手にそれは通じない。

黒人男性と挨拶する時に「ヘイメーン!」とか言って握手したり、やたらと「ブラザー」とか言ったりして、ブラックっぽく行動したいアジア人とかも見かける。「ブラックな」握手を交わしても、それは「同胞」と見なされた訳ではない。
ちなみに黒人男性は皆同胞を「ブラザー」と言うと勘違いしている日本人も多いが、うちの夫も従兄弟たちにも、血縁関係の無い他人の事を「ブラザー」なんて呼んだりしない。ただ、見知らぬ黒人から路上で「ブラザー」と馴れ馴れしく呼ばれる事はある。そう呼ぶ人たちは決まってなにか、「黒人同士だから分かり合えるぜ」「黒人同士だからお金くれるよね」「助けてくれるよね」と、自分と同じ肌の色の人に甘い期待を抱かないと生きて行けない輩たちである。教養のある人間たちは、見た事もない人間を肌の色だけで判断して「ブラザー」などと言ったりしない。

白人たちがどんなに表向きに友好的であっても、白人と他人種との間にきっちり線を引くように、黒人たちの線の引き方もキッパリしている。
必ずしも差別的行為とは思わないが、区別はきっかりするのである。これは人類誰しもが持っている性みたいな物だと思う。良い悪いは別として。

黒人男性が、黒人男性としか交わさない「挨拶」というのがある。
これは、相手を黒人男性と見なした時にしかしない。知り合い同士は握手や言葉などという挨拶手段があるが、ここで言うのは「お互いに知らない黒人男性同士」の挨拶である。目が合えば、必ず交える挨拶。。。。アゴをクッと上に上げるだけの、簡単なもの。

至る所でそれは交わされる。クラブで、エレベーターの中で、通りを歩いていてすれ違いざま、スーパーで、公園で、コンサート会場で、レストランで。。。。。”Hello”も”Hi”も、一切の言葉の無い、 アゴの「クッ」だけ。

連れの奥さんやガールフレンドが白人やアジア人であろうが、これだけは「絶対に」なされる。白人家庭の養子で、白人の環境で育った黒人でもこれはする。何故なら、こういう慣習を家庭や学校で教わらなくとも、「世間」に出て自分が黒人と見なされれば、黒人たちから「クッ」とされるので、自然に覚えるわけだ。

黒人があまり多くないシチュエーションになるほど、それは顕著になる。白人地域のレストラン、ショッピングモール、公園、ビーチ。。。そういう場所で有色人種は目立つ。そして、滅多に居ない黒人男性がすれ違うと。。。「クッ」。
「クッ」には、色んなメッセージが込められているのかもしれない。

アメリカのスポーツ選手というのは、スターであっても地元の普通の店に、ふらっと現れて酒を飲んでいたりする。友人が経営するレストランで夫と食事をしていると、仕立てのいいスーツを着た黒人男性が1人で、目の前のカウンターに座っている。その部屋には黒人は彼と、私の夫だけであった。2人は目が合うと「クッ」
やたらと背が高い人だなあ。。。と思っていたら、有名なシカゴのNBA選手だった。夫と彼は、個人的な知り合いでもなんでもない。「黒人」という共通点があるだけである。

同じように黒人の少ないバーで、野球選手と会った事もあった。ボー・ジャクソンというWhite Soxの黒人選手だったが、彼は他の白人客に対しては単にスターにありがちな笑顔を振りまいていたのに、夫がカウンターに寄った時には明らかに知り合いのような素振りで近づいて握手してきた。「意外な所に居る黒人」というのは、どこかの誰かで自分とつながっているかもしれない。。。みたいな気持ちがあるのかもしれない。夫は、黒人が居るというだけで挨拶しにいくタイプの人間ではないが、彼自身がそうじゃなくても挨拶「される」のである(笑)

習慣や文化というのは、自ら進んで育まなくても、受け身の状態でも十分に身に付くものである。
夫自身はブラックだとかホワイトだとかで人間を見る人ではないのであるが、人からブラックだと見なされる事で身に付くブラックカルチャーという物は大いにあるのだ。その一つが、こういうブラック的挨拶であると思う。
前に「ステレオタイプ」のエッセーで書いたが、ステレオタイプでない人間に染み付いたこういうカルチャーこそ、奥深いのだ。

「クッ」の挨拶は、いつの間に交わされてるのかも、黒人男性でない者には知る由もない。非常にさりげない。何千回も何万回も繰り返されるうちに身に付いた、体の一部みたいなもの。
直毛にパーマをかけてドレッドヘアにするとか、パンツずり下げファッションといった「カルチャー」からは、ほど遠い位置にある。

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Category: 知られざるブラックカルチャー
B.P.Time
アメリカには、普通の時間とは別に、B.P.Time(Black People Time)というものが存在する。またはC.P.Time (Colored People Time)とも言われる、黒人タイム。

B.P.タイムというのは、簡単に言えば以下のようなもの。
世間一般の時間通りに事が始まらない。
世間一般の時間通りに、事が終わらず延長される。

ブラックコミュニティには、彼ら独特の時間の流れという物があって、その流儀がある。
とりわけ時間にきっかりとした国、日本で育った私にとっては、これに慣れるのに時間がかかった。。。。いや、いまだに理解に苦しむ点である。

例えば、夕方6時半開演のコンサートがシカゴのサウスサイド(黒人居住区)であった。チケットにはしっかりと「5時半開場。6時半開演」と明記してある。
指定席ではない。席は早い者がちである。当然いい席から埋まるであろう。「開演」というのは、私の、いや一般人の頭の中では、舞台の幕が上がる時間の事だ。あるいは司会者が挨拶をする時間である。だから私は、少しでもいい席を取るために、5時45分くらいには到着するつもりで準備した。

予定通り、5時45分に到着。会場に入ったら、「あれ? 誰も居ない。。。」
ちょっと早過ぎたかな?と思ったが、席に座って待つ事に。ところが6時になっても客は1人も来ない。6時半頃になってやっと黒人客たちが少し入って来た。もう開演の時間であるが、全く何も始まる気配すらない。
開演時間から1時間経った7時半過ぎ。随分と客も入って来て、やっと席が埋まって来た。
そして8時15分。やっと司会者の挨拶。遅れた事への謝罪は一切無く、最初から8時半くらいに開演する予定だったかのようにコンサートは始まった。

普通のコンサートなら、2時間くらいの長さが普通。長くて3時間だ。
ところがどっこい。このコンサートは始まるのも遅かったが、コンサートも長かった。会場を出たのは12時半。平日の夜である。

驚くのは、会場に来ている客たちから一言も「始まるのが遅いじゃないか」などという文句が漏れない事。そこの会場に居たアジア人は私1人であったが、イライラしていたのもおそらく私一人だったと思う。
元々客たちも来るのが遅いのであるが、時間に関して気が長いというか、最初からチケットに記載してある時間なんて当てにしていないのである。
夫に聞いたら、「B.P.タイムでは、6時半開演と書いてあったら6時半に家を出るんだよ」とこともなげに言われた。半分冗談であるが、これは半分本当なのだ。だって本当に人々は7時半頃に一番入って来ていたもの。

コンサートなどの催し物も遅れる&長いのが一般であるが、冠婚葬祭もそうなのである。ブラックコミュニティのお葬式、結婚式は時間通りに始まらない。
ひどかったのは、義理従姉妹エミリーの結婚式。10時に教会で結婚式だったが、始まったのが12時。ここでも招待客はおしゃべりで時間をつぶしているので、誰も遅れている事に文句を言わない。式が遅れたので、当然その後の披露宴もずれこんで遅くなる。披露宴の開始は予定よりも3時間遅れた。そう、式の方が遅れた上に長引いたからだ。
さすがに式でも待たされ、披露宴でも待たされた親戚には文句を言い始める人も居た。2時間くらいの遅れだったらOKだが、3時間は我慢出来ないということだろうか?
ここら辺の彼らの「我慢の限界」というのも理解できない。私にとっては30分の遅れでもう諦めているので、2時間、3時間になると呆れ返っている極地に達していて逆に感じなくなっているが。

マイケル・ジャクソンの盛大なメモリアルサービスが、全国生放送で大々的に流れたのも記憶に新しい。私はこの時義理両親の家に居て、当然義理両親も義理弟も皆観るんだろうな、と思っていた。
ところが、「開始時間」のちょっと前からソファに座って待っていたのは私だけ。誰も来ない。そしてテレビの中のメモリアルサービスも時間通りに始まらない。大分遅れている。開始どころか、ようやくジャクソンの家族の車が、お葬式会場からセンターに到着した。
しばらくしてから、義理弟がやって来た。「随分遅れてるよ。まだ始まってない」と私が言ったら、「当たり前じゃん! 黒人のお葬式だよ? 遅れるのが普通だよ」と言われた。そうか。。。うっかり肝心な事を忘れていた。マイケル・ジャクソンだからといって、放送時間があるからといって、例外ではなかった(笑)
いよいよサービスが始まった時、義理ママがテレビの前にやってきた。何と言うタイミング。まるで本当に始まる時間を分かっているかのように。こういう黒人的な時間のタイミングみたいなものは、体に刻まれていないとなかなか測るのが難しい。

「待ち合わせ時間の15分前には到着する」というような、日本の常識、日本の時間の観念。それを植え付けられている私には、このルーズさは考えられない文化なのであるが、郷に入りては郷に従え、なのである。
だが、もちろんアメリカでも日本人と会う時は日本式時間を使う。これをJ.P.Time (Japanese People Time)と我が家では呼ぶ(笑)。逆に夫は、このJ.P.タイムに最初驚きを隠せなかった。アメリカ人は黒人でなくとも、日本人程時間に厳しくはないから。

シカゴに来た日本人の友人や知人と待ち合わせして食事するときなど、夫を同伴する事も多い。会う相手は初対面の事もある。
待ち合わせの時間の10分前に行こうとする私に、夫は「なんでそんなに慌てるの? ちゃんと時間には着けるよ」と訝しがる。しかし待ち合わせ場所に着くと、既に相手は私たちより先に来ている事実に毎回夫はビックリする。「だから言ったでしょ?」となる。日本人って言うのはこういうものなのよ。
そして万が一遅れる場合、待ち合わせ時間ピッタリに携帯が鳴り、「ごめんなさい。ちょっと遅れる」だとか、謝罪の電話が入る。これにも夫は驚く。
日本人は時間に対してが一番礼儀正しいし、厳しいかもしれない。時間にルーズだということは、人間としての信頼を失う社会だから。

黒人がする事は何でも遅れるか?というと違うので、これまた黒人でない者にとっては感覚を把握するのが難しい。
彼らは、仕事に関して(職種にもよる)や、会う人によってはきちんと時間を守り、B.P.タイムが通用する所をちゃんと心得ている。
ブラックコミュニティの中から抜け出した事が無く、黒人経営の職場でしか働いた事が無い人は、完全に時間に甘やかされている。多少の遅刻で首にされる社会ではないから。そしてそれがコミュニティの外で通用しない事を知らない。
コミュニティの外に出た黒人たちは、体の中に「一般時間」と「B.P.タイム」が仕分けられていて、それを器用に使い分けるのだ。

私は一度、「黒人のバンドだから遅れるだろう」と思って撮影に行くのに遅れてしまった事がある。何故なら、彼らのコンサートは遅れるのが当然だと思っていたから。何度も待たされているから。
ところがなんと時間通りに始まって、時間通りに終わったのだ。私は最初の30分を逃した。
なんでそのバンドが時間通りに行ったかというと、主催者側が白人だったから。これもうっかりしていた事であった。

黒人でない者が、B.P.タイムを身につけるのは、どうも無理なようである。彼らがJ.P.タイムで動くのがきっと無理なように。

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Mami Takayama

Author:Mami Takayama
シカゴ在住のフォトグラファー&ライター。フォトグラファー的目線でブラックカルチャーを綴ります。

このブログを元に書籍化されたものが、「ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと」となって2011年11月18日発売されます! 発行元はスペースシャワーネットワーク。
ブログの記事に大幅加筆修正、書き下ろしを加えております。いい本に仕上がりました。乞うご期待!

※当ブログ内の写真及びテキスト等の無断借用、転載は固く禁じます。

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