Category: 知られざるブラックカルチャー
ブルースは黒人音楽。。。。
アメリカ南部で、黒人によって生まれた音楽。。という意味では「黒人音楽」である事は確かで、その史実はこれからも変わる事は無い。
何をもって「★★人の☆☆」というのかは、ケースバイケースであろう。
実は、演奏している人種、それを聴いている人種をさしていうのであれば、ブルースはもう黒人の音楽とは呼べなくなって久しいのであるが。
深南部のデルタ地帯で生まれたブルースは、ミシシッピ川沿いに黒人と共に、セントルイスやシカゴやNYにやってきた。
だが、月日の流れで黒人たちのライフスタイルは変り、南部生まれの人たちも都市部には少なくなり、ブルースを生活の中で嗜む人は極端に少なくなった。
ブルースで有名なシカゴでは、毎年大きなブルースフェスティバルが開催される。
会場が我が家から徒歩圏内という事もあり、夏にこのフェスティバルに行くようになって久しい。
私はブルースに詳しくはないが、せっかくシカゴという環境に住んでいるのだし。。。という事で興味を持ったのがきっかけ。
他国や、アメリカでも他都市では、縁の無かった音楽ジャンルだったし。
近年はブルースマンたちの撮影もするようになって、より身近になった。
撮影をしている時に「ただならぬオーラのあるミュージシャンだな」と思っていると、やはりただならぬ大物だったりする事を後から知ったりするのだが。
さて、そのブルースフェスティバル。
数日間で数十万人の観客で溢れかえるのであるが、9割以上が白人である。
そして少数のアジア人(シカゴのアジア人人口は少ないのでこれは人口比率からして珍しい事でない)。
ヒスパニック系はほとんど居ない。
さらに黒人は、100人に1人か2人居る?ってくらいの1~2%。
チケット代が$50や$100するコンサートであったら、「シカゴは黒人層よりも白人層の方が経済的余裕があるから」という理由で納得出来る。
が、このフェスティバルは無料である。
誰でもタダで入れる。
シカゴの白人と黒人の人口率はほぼ同じ。
白人が32%で黒人は35%と、近年はやや黒人の方が多いくらい。
なのに、ブルースフェスティバルの観客は、9割が白人なのである。
カントリーミュージックフェスティバルでこの比率ならまだ分かる。
一体この偏りは何なのか。
私は毎年行くのだが、夫を誘ってもいつも気の無い返事。
会場のすぐ近所に住んでいるというのに、行かない。
夫ファミリーの中でも、老若男女、誰も興味をしめさない。
フランスやイタリア、アメリカ東海岸や西海岸からも飛行機に乗って来るファンや報道陣たちも多いというのに。
ファミリーの中で、ブラックでない私が唯一、ブルースフェスティバルに足を向ける。
これはしばしば笑いの種にされるので(笑)、周囲の黒人に聞いてまわった事がある。
「どうしてブルースを聴かない(興味が無い)のか? ブラックミュージックだと世界では思われているのに。。。」
一番多い返事は、「ブラックの好む音楽が変化してきたからだよ」との理由。
夫の両親の世代でさえ、ブルースを聴いたりしない。
ただ黒人なら当然ある知識として、曲やミュージシャンの事は知っている。
ただ、好んで聴いたりしない。
日本人が演歌ファンでなくとも、演歌歌手の名前を少なくとも数名は挙げられるのと同じようなものか。
生活していれば、受動的に耳に入ってくるのだから。
ちなみに義母にとって血肉となっている音楽はゴスペルであり、青春時代はスプリームスなどのモータウンで育った。
あの時代の音楽がかかると、義母は踊り出す。
義父は、ジャズ一辺倒。
私が義理両親と一緒にブルースを聴いたのは、B.B.キングのコンサートだけ。
それも、私が行きたかったから誘いに乗ってくれたのだ(笑)。
彼らにとっては、「懐メロ」だったであろう。
ブルースは古臭い音楽なのだ、と彼らは言う。
黒人は偉大なる音楽のクリエイターなので、次々に音楽の形態を変え、新しいジャンルを生み出して来た。
それに合わせて、リスナーたちの好みも、ハッキリと移り変わって来たのである。
ブルースは「古典」だから名曲は知っていても、黒人たちにとってはわざわざ好んで聴く音楽ではなくなってしまったのである。
現在70歳代の黒人世代にとっては、かろうじてブルースが生活の中で流れていた。
車のラジオからも流れて来ていたし、シカゴのブルース発祥で有名なマックスウェルストリートでも、路上ミュージシャンが演奏していた。
現在はブルース専門のラジオ局は無いし、他のミュージックステーションからブルースが流れる事も稀である。
路上ミュージシャンたちは年を取り、この世から居なくなり、演奏していたそのストリートも街の再開発のため姿をすっかり変えた。
その後の世代、50歳代以下の黒人たちは、自分たちのことを「完全なブルースロストジェネレーション」と呼ぶ。
聴く機会すらなかった。
幼き頃から、テレビをつければジャクソン5が居る環境だ。
ブルースが生活に入り込む余地はなかった。
「ブルースの歌詞は、聞くのも痛々しい」という黒人たちも居る。
ブルースは人生や生活の悲しみ、痛み、辛さを歌い上げた物が多い。
そういった歌詞に共感できないのは、都市部の現代人にとっては当然のことであろう。
また、世代が変わり実際に南部生まれの黒人がほとんど居なくなった今、「都会への憧れ」とか「故郷への想い」のような歌詞にもピンと来るまい。
黒人ブルースミュージシャンの数も減って来ている。
大御所と呼ばれる白人ミュージシャンがさらに増え、アジア人も居る。
黒人演奏者が減って来ている理由は、「ビジネスにならないから」というのが大きな理由である。
ブルースで生活していくのは容易な事ではない。
ブルースはもはや「カッコいい」音楽ではない。
若者が目指さない。
20代の黒人男性は、「だって女にもてないじゃん(笑)」と言っていた。
。。。これは笑えるが、実際に音楽をやろうなんて考えるミュージシャンたちは、本気で考えるのだ。
ロックをやって女にもてたい。ヒップホップで女にもてたい。
若い男の子が音楽をやり始める時に、こういう不純な動機は大きいし、それこそパワーだと思う。
ブルースやって女にもてよう。。。とは、現代の標語にはならない。
テレビに出て稼いでいる黒人たちは、今やヒップホップのスターたちである。
シカゴには、ブルースクラブがいくつもある。
地元のシカゴアンたちが集まるライブハウスとは違い、観光客向けになっている所が多い。
その点、ハワイのハワイアンミュージックと同じだと思う。
ハワイの人たちが聴く音楽は、今や本土となんら変わりがないのであるが、「ハワイに行ったらウクレレ聴きたい」なんて観光客たちのために、その音楽は生き残る。
私は普段の生活の中で、ブルースクラブに行く事は滅多に無いのであるが、たまたま仕事で数回行った。
ブルースクラブなんぞに足を踏み入れない(笑)夫を誘ったりした。
どのクラブも、やはり客は白人とアジア人(韓国、台湾、中国からの団体多し)ばかり。
黒人といえばステージの上のミュージシャンたちと、観客席ではうちの夫だけ。
「あ、他に黒人が居るよ!」と思ったら、彼は店の従業員だった。
「黒人はブルースを聴かない事実」を百も承知な夫も、このあからさまな状況に身を置いて、さすがに驚いていた。
ここは白人ロックグループの会場ではないのである。
ブルースクラブに黒人客が居ないのである。
「いつからこんなになっちゃったんだろう?」と夫は人ごとのようにぼやいていたが、そう言う本人もブルース事情を「こんなに」したブラックの1人である。
面白い事に、「黒人の音楽」であるブルースは、数多くの白人ファンたちによって支えられ、受け継がれてきた。
これだけ色んな音楽の溢れる世の中なのだ。
「黒人がルーツの音楽」という理由だけで、いつまでも黒人たちが聴かなきゃいけない理由も、確かに無い。
同様に、「黒人音楽」だからといって、黒人以外が演奏したらそれはブルースでない、という事も決して無い。
音楽は需要と供給の世界で成り立っており、必要な時に必要な場所で必要な人々に必要とされて生きていく物なのだ。
それがどう形を変えようと、誰が演奏しようとも、「聴きたい」と思う人々によって支えられて行く。
シカゴを代表する映画として、「ブルースブラザース」という70年代後半のコメディがある。
ジェームズ・ブラウン 、アレサ・フランクリン、ジョン・リー・フッカー、レイ・チャールズ。。。。etc.と、今では絶対に共演不可能な、豪華ソウルフルな顔ぶれが揃った映画。
この「名画」を、なんと夫は私と結婚するまで観た事が無かった(結婚後に強制的に見せた)。
そして、「ブルースブラザース」を観ていない黒人は夫だけに限らないこと、なんと知り合いの音楽好きの黒人のほとんどがこの映画を観ていない事実に驚愕した。
シカゴの映画なのに、ブルースの映画なのに、シカゴの黒人が観ていない。
映画の主人公が2人組の白人だから。。。というのも大きな理由であろう。
ターゲットを白人に向けて作られた映画なのである。
どのポスターにも、アルバムジャケットにも、黒いスーツと黒いサングラスの白人男性2人組。
これじゃ黒人は、興味をしめしようがない。
映画の中の黒人スターたちの豪華共演も、知らない黒人たちが多い。
反対に、この映画はシカゴの白人たちは大大大好きである。
この映画で、ブルースに興味を持つ白人の若者たちも多い。
シカゴの古典映画となっている。
ブルースフェスティバルの会場で、ブルースブラザースのTシャツを着ている白人たちも多い。
果たして白人たちは、どうしてこれほどブルースを愛するのか。
それはブラックカルチャーではなくて白人文化の話になってしまうので、ここでは取り上げない。
いつか同じように、ブルースファンの白人たちにアンケートを取ってみたいものであるが。
アメリカ南部で、黒人によって生まれた音楽。。という意味では「黒人音楽」である事は確かで、その史実はこれからも変わる事は無い。
何をもって「★★人の☆☆」というのかは、ケースバイケースであろう。
実は、演奏している人種、それを聴いている人種をさしていうのであれば、ブルースはもう黒人の音楽とは呼べなくなって久しいのであるが。
深南部のデルタ地帯で生まれたブルースは、ミシシッピ川沿いに黒人と共に、セントルイスやシカゴやNYにやってきた。
だが、月日の流れで黒人たちのライフスタイルは変り、南部生まれの人たちも都市部には少なくなり、ブルースを生活の中で嗜む人は極端に少なくなった。
ブルースで有名なシカゴでは、毎年大きなブルースフェスティバルが開催される。
会場が我が家から徒歩圏内という事もあり、夏にこのフェスティバルに行くようになって久しい。
私はブルースに詳しくはないが、せっかくシカゴという環境に住んでいるのだし。。。という事で興味を持ったのがきっかけ。
他国や、アメリカでも他都市では、縁の無かった音楽ジャンルだったし。
近年はブルースマンたちの撮影もするようになって、より身近になった。
撮影をしている時に「ただならぬオーラのあるミュージシャンだな」と思っていると、やはりただならぬ大物だったりする事を後から知ったりするのだが。
さて、そのブルースフェスティバル。
数日間で数十万人の観客で溢れかえるのであるが、9割以上が白人である。
そして少数のアジア人(シカゴのアジア人人口は少ないのでこれは人口比率からして珍しい事でない)。
ヒスパニック系はほとんど居ない。
さらに黒人は、100人に1人か2人居る?ってくらいの1~2%。
チケット代が$50や$100するコンサートであったら、「シカゴは黒人層よりも白人層の方が経済的余裕があるから」という理由で納得出来る。
が、このフェスティバルは無料である。
誰でもタダで入れる。
シカゴの白人と黒人の人口率はほぼ同じ。
白人が32%で黒人は35%と、近年はやや黒人の方が多いくらい。
なのに、ブルースフェスティバルの観客は、9割が白人なのである。
カントリーミュージックフェスティバルでこの比率ならまだ分かる。
一体この偏りは何なのか。
私は毎年行くのだが、夫を誘ってもいつも気の無い返事。
会場のすぐ近所に住んでいるというのに、行かない。
夫ファミリーの中でも、老若男女、誰も興味をしめさない。
フランスやイタリア、アメリカ東海岸や西海岸からも飛行機に乗って来るファンや報道陣たちも多いというのに。
ファミリーの中で、ブラックでない私が唯一、ブルースフェスティバルに足を向ける。
これはしばしば笑いの種にされるので(笑)、周囲の黒人に聞いてまわった事がある。
「どうしてブルースを聴かない(興味が無い)のか? ブラックミュージックだと世界では思われているのに。。。」
一番多い返事は、「ブラックの好む音楽が変化してきたからだよ」との理由。
夫の両親の世代でさえ、ブルースを聴いたりしない。
ただ黒人なら当然ある知識として、曲やミュージシャンの事は知っている。
ただ、好んで聴いたりしない。
日本人が演歌ファンでなくとも、演歌歌手の名前を少なくとも数名は挙げられるのと同じようなものか。
生活していれば、受動的に耳に入ってくるのだから。
ちなみに義母にとって血肉となっている音楽はゴスペルであり、青春時代はスプリームスなどのモータウンで育った。
あの時代の音楽がかかると、義母は踊り出す。
義父は、ジャズ一辺倒。
私が義理両親と一緒にブルースを聴いたのは、B.B.キングのコンサートだけ。
それも、私が行きたかったから誘いに乗ってくれたのだ(笑)。
彼らにとっては、「懐メロ」だったであろう。
ブルースは古臭い音楽なのだ、と彼らは言う。
黒人は偉大なる音楽のクリエイターなので、次々に音楽の形態を変え、新しいジャンルを生み出して来た。
それに合わせて、リスナーたちの好みも、ハッキリと移り変わって来たのである。
ブルースは「古典」だから名曲は知っていても、黒人たちにとってはわざわざ好んで聴く音楽ではなくなってしまったのである。
現在70歳代の黒人世代にとっては、かろうじてブルースが生活の中で流れていた。
車のラジオからも流れて来ていたし、シカゴのブルース発祥で有名なマックスウェルストリートでも、路上ミュージシャンが演奏していた。
現在はブルース専門のラジオ局は無いし、他のミュージックステーションからブルースが流れる事も稀である。
路上ミュージシャンたちは年を取り、この世から居なくなり、演奏していたそのストリートも街の再開発のため姿をすっかり変えた。
その後の世代、50歳代以下の黒人たちは、自分たちのことを「完全なブルースロストジェネレーション」と呼ぶ。
聴く機会すらなかった。
幼き頃から、テレビをつければジャクソン5が居る環境だ。
ブルースが生活に入り込む余地はなかった。
「ブルースの歌詞は、聞くのも痛々しい」という黒人たちも居る。
ブルースは人生や生活の悲しみ、痛み、辛さを歌い上げた物が多い。
そういった歌詞に共感できないのは、都市部の現代人にとっては当然のことであろう。
また、世代が変わり実際に南部生まれの黒人がほとんど居なくなった今、「都会への憧れ」とか「故郷への想い」のような歌詞にもピンと来るまい。
黒人ブルースミュージシャンの数も減って来ている。
大御所と呼ばれる白人ミュージシャンがさらに増え、アジア人も居る。
黒人演奏者が減って来ている理由は、「ビジネスにならないから」というのが大きな理由である。
ブルースで生活していくのは容易な事ではない。
ブルースはもはや「カッコいい」音楽ではない。
若者が目指さない。
20代の黒人男性は、「だって女にもてないじゃん(笑)」と言っていた。
。。。これは笑えるが、実際に音楽をやろうなんて考えるミュージシャンたちは、本気で考えるのだ。
ロックをやって女にもてたい。ヒップホップで女にもてたい。
若い男の子が音楽をやり始める時に、こういう不純な動機は大きいし、それこそパワーだと思う。
ブルースやって女にもてよう。。。とは、現代の標語にはならない。
テレビに出て稼いでいる黒人たちは、今やヒップホップのスターたちである。
シカゴには、ブルースクラブがいくつもある。
地元のシカゴアンたちが集まるライブハウスとは違い、観光客向けになっている所が多い。
その点、ハワイのハワイアンミュージックと同じだと思う。
ハワイの人たちが聴く音楽は、今や本土となんら変わりがないのであるが、「ハワイに行ったらウクレレ聴きたい」なんて観光客たちのために、その音楽は生き残る。
私は普段の生活の中で、ブルースクラブに行く事は滅多に無いのであるが、たまたま仕事で数回行った。
ブルースクラブなんぞに足を踏み入れない(笑)夫を誘ったりした。
どのクラブも、やはり客は白人とアジア人(韓国、台湾、中国からの団体多し)ばかり。
黒人といえばステージの上のミュージシャンたちと、観客席ではうちの夫だけ。
「あ、他に黒人が居るよ!」と思ったら、彼は店の従業員だった。
「黒人はブルースを聴かない事実」を百も承知な夫も、このあからさまな状況に身を置いて、さすがに驚いていた。
ここは白人ロックグループの会場ではないのである。
ブルースクラブに黒人客が居ないのである。
「いつからこんなになっちゃったんだろう?」と夫は人ごとのようにぼやいていたが、そう言う本人もブルース事情を「こんなに」したブラックの1人である。
面白い事に、「黒人の音楽」であるブルースは、数多くの白人ファンたちによって支えられ、受け継がれてきた。
これだけ色んな音楽の溢れる世の中なのだ。
「黒人がルーツの音楽」という理由だけで、いつまでも黒人たちが聴かなきゃいけない理由も、確かに無い。
同様に、「黒人音楽」だからといって、黒人以外が演奏したらそれはブルースでない、という事も決して無い。
音楽は需要と供給の世界で成り立っており、必要な時に必要な場所で必要な人々に必要とされて生きていく物なのだ。
それがどう形を変えようと、誰が演奏しようとも、「聴きたい」と思う人々によって支えられて行く。
シカゴを代表する映画として、「ブルースブラザース」という70年代後半のコメディがある。
ジェームズ・ブラウン 、アレサ・フランクリン、ジョン・リー・フッカー、レイ・チャールズ。。。。etc.と、今では絶対に共演不可能な、豪華ソウルフルな顔ぶれが揃った映画。
この「名画」を、なんと夫は私と結婚するまで観た事が無かった(結婚後に強制的に見せた)。
そして、「ブルースブラザース」を観ていない黒人は夫だけに限らないこと、なんと知り合いの音楽好きの黒人のほとんどがこの映画を観ていない事実に驚愕した。
シカゴの映画なのに、ブルースの映画なのに、シカゴの黒人が観ていない。
映画の主人公が2人組の白人だから。。。というのも大きな理由であろう。
ターゲットを白人に向けて作られた映画なのである。
どのポスターにも、アルバムジャケットにも、黒いスーツと黒いサングラスの白人男性2人組。
これじゃ黒人は、興味をしめしようがない。
映画の中の黒人スターたちの豪華共演も、知らない黒人たちが多い。
反対に、この映画はシカゴの白人たちは大大大好きである。
この映画で、ブルースに興味を持つ白人の若者たちも多い。
シカゴの古典映画となっている。
ブルースフェスティバルの会場で、ブルースブラザースのTシャツを着ている白人たちも多い。
果たして白人たちは、どうしてこれほどブルースを愛するのか。
それはブラックカルチャーではなくて白人文化の話になってしまうので、ここでは取り上げない。
いつか同じように、ブルースファンの白人たちにアンケートを取ってみたいものであるが。