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シカゴからダイレクトにお届けする、知られざる黒人文化あれこれ。

Category: 知られざるブラックカルチャー
Fried Chicken & Watermelon
黒人といえば、フライドチキンとスイカ。
アメリカではあまりに浸透された、ステレオタイプの代表である。
カリカチュアライズされた漫画には、黒人が手にフライドチキンやスイカを持っている。
昔の映画や芝居にも、このような絵が頻繁に登場する。
これは南部黒人のイメージである。

奴隷時代の白人家庭では、鶏の胸肉を好み、骨付き部分は捨てていた。
白人の元で働く黒人料理人たちは、この残飯(ダークミートと呼ばれるもも、手羽部分)を血抜きし、 香辛料で臭みを消し、コーンの残りカスをまぶし、ラードでじっくり揚げ 、彼らの食事にした。
そのフライドチキンは、南部の白人の食卓でもポピュラーな物になる。
南部全体、そしてアメリカ全土に広がって行ったのであるが、KFCのフランチャイズ化はそのスピードに拍車をかけたのは言うまでもない。
ケンタッキーで生まれたKFCは、「南部の味」としてでなく「アメリカの味」として世界に定着するほどになった。
鶏は大量飼育が可能で、ビーフよりも安価である事も、当時の黒人たちに好まれた理由である。

スイカも深南部が産地。
南部の夏は湿度も高く、うだるように暑い。
扇風機すら手に入らない時代に、奴隷たちが体を冷やす食べ物として好んだのだ。

「黒人とフライドチキン」「黒人とスイカ」の揶揄は、南部だけでなく、アメリカ全土の黒人のイメージとして定着。
果たして、現在南部以外の都市に住んでいる黒人たちも、これらの物を好んで食べているのか?

NYのハーレムや、シカゴのサウスサイド&ウェストサイドなどの黒人居住区。
トラックのスイカ売りがやって来て、路上で売られる光景は夏の風物詩。
だが実は、トラックのスイカ売りの光景は、メキシコ系の居住区の方がはるかに多く、客も多い。
青空市場でスイカの山に群がっているのは、シカゴでは黒人よりも圧倒的にメキシコ系である。
メキシコも、スイカの産地国であるので、彼らの食生活には欠かせない。

黒人居住者が1人も居ない街のスーパーに行ったって、夏には同じようにスイカが山積みされている。

黒人はスイカを、他人種と比べて特に好きか?と言われれば、そういう事実は無いと思う。

フライドチキンに関してはどうであろう?

前述したが、フライドチキンのファストフード店は全国的にあり、アメリカ人なら誰でも食べる。
だが黒人居住区に行くと、フライドチキン屋は極端に増えるのだ。
他の人種に比べて、日常で、より頻繁に食べているのは事実なのである。

KFCはケンタッキーだが、他にアメリカのフランチャイズ店で有名なのは、Popeyesというルイジアナのニューオーリンズが発祥の店。
Popeyesには、チキンの他にレッドビーンズ&ライス(クレオール料理)、ポボーイサンドイッチ、ケイジャンライス(ケイジャン料理)というルイジアナ料理のメニューが定番。
ビスケット(パン)も、KFCのよりもバターでしっとりとしている(言い換えれば、油っぽい)。
私はルイジアナ料理が大好きだけど、ファストフードは、所詮ファストフードの味しか出せない。
黒人は、KFCよりも圧倒的にPopeyesを好む傾向にある。
しかしKFC(ラードでなくてショートニングを使用)もPopeyesも、クレオールもケイジャン料理も、あくまでも南部料理であって、彼らはソウルフードと呼ばない。

このような全国店の他にも、ローカルなフライドチキン屋が、都市の黒人居住区にはすごく多い。
例えばシカゴで展開してるチェーン店は、Harold's Chicken Shackという店。
シカゴでもサウスサイド、及びダウンタウンエリアにしか無い店である。
シカゴの黒人で、この店を知らない人は居ないであろう。
彼らは単に、「Harold's 」と呼ぶ。

この店が黒人に好まれるのは、創始者のHarold Pierceという人が、黒人だから。
当然ながら黒人の間には、白人の店よりも黒人の店をサポートしたいという気持ちが強い。
あるいは、白人の店を拒絶する黒人さえ、保守的な黒人層には多い。

Harold's Chicken は、いつも黒人客たちで盛況だ。
人種ミックスのダウンタウンにある店さえも、いつも黒人客オンリーで埋まっている。
窓の外から見ると、他の人種が入って行けないような雰囲気。
ここのチキンはもちろんラード使いの、バリバリのソウルフードフライドチキンだ。
他の店のフライドチキンなんかを食べ慣れた人は、脂っこく感じるであろう。
その脂っこさこそ、黒人が好むフライドチキンなのである。

ちなみに夫は、「黒人が好きであるはずの」フライドチキンが嫌い。
他のチキン料理は好きなのだが、フライドチキンは食べない。
フライドチキンに関しては、私の方がよく食べる。
たまに、無性にフライドチキンが食べたくなる時があるのだ。
仕方ないので1人で「Harold'sデビュー」をしたことがある。
常連客たちは、ドアを開けると同時に大声でオーダーする。
店内でメニューを見てウロウロしていたら、バカにされるような場所であった。

義母はファミリーディナーの際、全て手料理を出すが、フライドチキンだけは別。
昔は家で揚げていたらしいが、1人で30~40人分も揚げるのは重労働。
最近は、テイクアウト専門のフライドチキン屋で、チキンだけは買って来る。
祝日は、黒人の家では多くのファミリーディナーが開催されるので、店にはずらりと人が並ぶ。
次から次に、予約してあるチキンを受け取りに来る。
50ピースとか100ピースとか。山のように持って帰る。

こういう黒人専門(?)のチキン屋では、胸肉をwhite、もも肉をdarkと呼ぶ。
別に白人が食べていたから胸肉がwhiteで、黒人が好んだからもも肉がdarkなのではない、あしからず(笑)
単に、肉の色のこと。

フライドチキンはラードのために、カロリー過多。
奴隷時代には栄養食であっただろうが、現代ではヘルシーフードとはとても呼べない。
しかも、ラードの中にバターを入れると美味しいと、義母は言う。
義父母の世代は、「バターを料理に入れると、何でも美味しくなる」という、バターが推奨された世代。
コーンにバター、ステーキにバター、ポテトにもバター。
現代の黒人層にとっては、フライドチキンは肥満の第一原因でもある。

「フライドチキンはジャンクフード」と呼ばれ始めてから、ラードの代わりにサラダ油を用いる店が増えて来た。
しかしそれはもう、ソウルフードとは呼べない、とする人も多い。
伝統的な調理法、そして味覚の上から言っても、ラードはソウルフードのフライドチキンには欠かせないことは確か。
揚げ物は特に、オイルで味が全く変わってしまう。

NYのハーレムに、M&G Dinerというレストランがあった。
純粋に、ソウルフードだけを提供する店が減る中、この店は、ある種の客に媚びないソウルフード店の一つであった。
「ある種の客に媚びない」というのは、黒人以外の客(主に白人)が食べやすいようにアレンジした料理や、ソウルフードでない南部料理を出さない、という意味である。
私が90年初頭に、初めてソウルフードを食べたのはこの店である。
ハーレムに、ハーレムの住人以外が足を運び始めた直後の事である。

80年代は、White PlainsというNYの郊外に父が居て、私は遊びに行くとハーレムラインという電車で郊外とマンハッタンを行き来していた。
高架線で途中でハーレムを通るのであるが、窓から見下ろすハーレムは完全なるスラムであった。
スラムから高級住宅街のWhite Plainsは大した時間もかからない。
この貧富の差こそ、アメリカの恐ろしさである。
「いつか、このハーレムを歩き回れる時が来るのだろうか?」と、電車から毎日見下ろしては、10代の頃の私は思っていたのだ。

ハーレムに初上陸した時は、「ソウルフード」という言葉を耳にし始めた直後の事でもある。
当時は黒人の友人が居た訳でもなく、ソウルフードの歴史も意味も分からずに食べた。
その、ハーレムの歴史のある店も、残念ながら、数年前に閉店。
ハーレムの中でも数少ない、本当のソウルフードの店として貴重な場所だったという事は、後から知った。

「ソウルフード」という言葉は最初、マーケティング用語として広められたとも言われる。
そして若い黒人たちが、生活の中で一般に使い始めたのは80年代から90年代初頭。
古い世代は、いまだにソウルフードなどと呼ばない人が多い。
彼らは普通に、「料理」と呼ぶ。
ただ、他にもある、いわゆる白人層も普通に食べる南部料理とは区別する。 
中国人が日常で食べている料理を、いちいち「中華料理」なんて呼ばないのと同じである。
インド料理やタイ料理を食すなんて文化が日常に無かった黒人たちにとって、わざわざ「これはソウルフード」なんて使い分ける必要も無かったのだ。
「南部で食べていた料理を、北部にやってきた黒人たちが故郷と祖先への想いからソウルフードと呼び始めた」なんていうのは聞こえが綺麗だからそういう伝説も生まれるが、実際にはビジネス的に作られた用語だと黒人たちは理解しているようだ。

親しい間柄でなければ、冗談でも「チキン好きなんでしょ?」なんて黒人に向かって言わない方がよい。
実際に食べていたとしても、他人種に言われると「侮辱」と感じる人が多いから。
ステレオタイプ的ジョークは、うんと親しくなったら言い合うのは面白いけど。

いずれにせよ、フライドチキンは、黒人の間で一番頻繁に食べられているソウルフードだと言ってよい。
今から思えば、美味しいもも肉が捨てられていた事が信じられない。
そしてそれが残飯として扱われていなければ、フライドチキンは生まれなかった。
形を変えて様々な所で愛されているフライドチキンの誕生は、奴隷時代の黒人料理の産物である事を忘れないでほしい。

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ブルース事情
ブルースは黒人音楽。。。。
アメリカ南部で、黒人によって生まれた音楽。。という意味では「黒人音楽」である事は確かで、その史実はこれからも変わる事は無い。
何をもって「★★人の☆☆」というのかは、ケースバイケースであろう。
実は、演奏している人種、それを聴いている人種をさしていうのであれば、ブルースはもう黒人の音楽とは呼べなくなって久しいのであるが。

深南部のデルタ地帯で生まれたブルースは、ミシシッピ川沿いに黒人と共に、セントルイスやシカゴやNYにやってきた。
だが、月日の流れで黒人たちのライフスタイルは変り、南部生まれの人たちも都市部には少なくなり、ブルースを生活の中で嗜む人は極端に少なくなった。

ブルースで有名なシカゴでは、毎年大きなブルースフェスティバルが開催される。
会場が我が家から徒歩圏内という事もあり、夏にこのフェスティバルに行くようになって久しい。
私はブルースに詳しくはないが、せっかくシカゴという環境に住んでいるのだし。。。という事で興味を持ったのがきっかけ。
他国や、アメリカでも他都市では、縁の無かった音楽ジャンルだったし。
近年はブルースマンたちの撮影もするようになって、より身近になった。
撮影をしている時に「ただならぬオーラのあるミュージシャンだな」と思っていると、やはりただならぬ大物だったりする事を後から知ったりするのだが。

さて、そのブルースフェスティバル。
数日間で数十万人の観客で溢れかえるのであるが、9割以上が白人である。
そして少数のアジア人(シカゴのアジア人人口は少ないのでこれは人口比率からして珍しい事でない)。
ヒスパニック系はほとんど居ない。
さらに黒人は、100人に1人か2人居る?ってくらいの1~2%。
チケット代が$50や$100するコンサートであったら、「シカゴは黒人層よりも白人層の方が経済的余裕があるから」という理由で納得出来る。
が、このフェスティバルは無料である。
誰でもタダで入れる。
シカゴの白人と黒人の人口率はほぼ同じ。
白人が32%で黒人は35%と、近年はやや黒人の方が多いくらい。
なのに、ブルースフェスティバルの観客は、9割が白人なのである。
カントリーミュージックフェスティバルでこの比率ならまだ分かる。
一体この偏りは何なのか。

私は毎年行くのだが、夫を誘ってもいつも気の無い返事。
会場のすぐ近所に住んでいるというのに、行かない。
夫ファミリーの中でも、老若男女、誰も興味をしめさない。
フランスやイタリア、アメリカ東海岸や西海岸からも飛行機に乗って来るファンや報道陣たちも多いというのに。

ファミリーの中で、ブラックでない私が唯一、ブルースフェスティバルに足を向ける。
これはしばしば笑いの種にされるので(笑)、周囲の黒人に聞いてまわった事がある。

「どうしてブルースを聴かない(興味が無い)のか? ブラックミュージックだと世界では思われているのに。。。」

一番多い返事は、「ブラックの好む音楽が変化してきたからだよ」との理由。
夫の両親の世代でさえ、ブルースを聴いたりしない。
ただ黒人なら当然ある知識として、曲やミュージシャンの事は知っている。
ただ、好んで聴いたりしない。
日本人が演歌ファンでなくとも、演歌歌手の名前を少なくとも数名は挙げられるのと同じようなものか。
生活していれば、受動的に耳に入ってくるのだから。

ちなみに義母にとって血肉となっている音楽はゴスペルであり、青春時代はスプリームスなどのモータウンで育った。
あの時代の音楽がかかると、義母は踊り出す。
義父は、ジャズ一辺倒。
私が義理両親と一緒にブルースを聴いたのは、B.B.キングのコンサートだけ。
それも、私が行きたかったから誘いに乗ってくれたのだ(笑)。
彼らにとっては、「懐メロ」だったであろう。

ブルースは古臭い音楽なのだ、と彼らは言う。
黒人は偉大なる音楽のクリエイターなので、次々に音楽の形態を変え、新しいジャンルを生み出して来た。
それに合わせて、リスナーたちの好みも、ハッキリと移り変わって来たのである。
ブルースは「古典」だから名曲は知っていても、黒人たちにとってはわざわざ好んで聴く音楽ではなくなってしまったのである。

現在70歳代の黒人世代にとっては、かろうじてブルースが生活の中で流れていた。
車のラジオからも流れて来ていたし、シカゴのブルース発祥で有名なマックスウェルストリートでも、路上ミュージシャンが演奏していた。
現在はブルース専門のラジオ局は無いし、他のミュージックステーションからブルースが流れる事も稀である。
路上ミュージシャンたちは年を取り、この世から居なくなり、演奏していたそのストリートも街の再開発のため姿をすっかり変えた。

その後の世代、50歳代以下の黒人たちは、自分たちのことを「完全なブルースロストジェネレーション」と呼ぶ。
聴く機会すらなかった。
幼き頃から、テレビをつければジャクソン5が居る環境だ。
ブルースが生活に入り込む余地はなかった。

「ブルースの歌詞は、聞くのも痛々しい」という黒人たちも居る。
ブルースは人生や生活の悲しみ、痛み、辛さを歌い上げた物が多い。
そういった歌詞に共感できないのは、都市部の現代人にとっては当然のことであろう。
また、世代が変わり実際に南部生まれの黒人がほとんど居なくなった今、「都会への憧れ」とか「故郷への想い」のような歌詞にもピンと来るまい。

黒人ブルースミュージシャンの数も減って来ている。
大御所と呼ばれる白人ミュージシャンがさらに増え、アジア人も居る。
黒人演奏者が減って来ている理由は、「ビジネスにならないから」というのが大きな理由である。
ブルースで生活していくのは容易な事ではない。
ブルースはもはや「カッコいい」音楽ではない。
若者が目指さない。

20代の黒人男性は、「だって女にもてないじゃん(笑)」と言っていた。
。。。これは笑えるが、実際に音楽をやろうなんて考えるミュージシャンたちは、本気で考えるのだ。
ロックをやって女にもてたい。ヒップホップで女にもてたい。
若い男の子が音楽をやり始める時に、こういう不純な動機は大きいし、それこそパワーだと思う。
ブルースやって女にもてよう。。。とは、現代の標語にはならない。
テレビに出て稼いでいる黒人たちは、今やヒップホップのスターたちである。

シカゴには、ブルースクラブがいくつもある。
地元のシカゴアンたちが集まるライブハウスとは違い、観光客向けになっている所が多い。
その点、ハワイのハワイアンミュージックと同じだと思う。
ハワイの人たちが聴く音楽は、今や本土となんら変わりがないのであるが、「ハワイに行ったらウクレレ聴きたい」なんて観光客たちのために、その音楽は生き残る。

私は普段の生活の中で、ブルースクラブに行く事は滅多に無いのであるが、たまたま仕事で数回行った。
ブルースクラブなんぞに足を踏み入れない(笑)夫を誘ったりした。
どのクラブも、やはり客は白人とアジア人(韓国、台湾、中国からの団体多し)ばかり。
黒人といえばステージの上のミュージシャンたちと、観客席ではうちの夫だけ。
「あ、他に黒人が居るよ!」と思ったら、彼は店の従業員だった。
「黒人はブルースを聴かない事実」を百も承知な夫も、このあからさまな状況に身を置いて、さすがに驚いていた。
ここは白人ロックグループの会場ではないのである。
ブルースクラブに黒人客が居ないのである。
「いつからこんなになっちゃったんだろう?」と夫は人ごとのようにぼやいていたが、そう言う本人もブルース事情を「こんなに」したブラックの1人である。

面白い事に、「黒人の音楽」であるブルースは、数多くの白人ファンたちによって支えられ、受け継がれてきた。

これだけ色んな音楽の溢れる世の中なのだ。
「黒人がルーツの音楽」という理由だけで、いつまでも黒人たちが聴かなきゃいけない理由も、確かに無い。

同様に、「黒人音楽」だからといって、黒人以外が演奏したらそれはブルースでない、という事も決して無い。

音楽は需要と供給の世界で成り立っており、必要な時に必要な場所で必要な人々に必要とされて生きていく物なのだ。
それがどう形を変えようと、誰が演奏しようとも、「聴きたい」と思う人々によって支えられて行く。

シカゴを代表する映画として、「ブルースブラザース」という70年代後半のコメディがある。
ジェームズ・ブラウン 、アレサ・フランクリン、ジョン・リー・フッカー、レイ・チャールズ。。。。etc.と、今では絶対に共演不可能な、豪華ソウルフルな顔ぶれが揃った映画。
この「名画」を、なんと夫は私と結婚するまで観た事が無かった(結婚後に強制的に見せた)。
そして、「ブルースブラザース」を観ていない黒人は夫だけに限らないこと、なんと知り合いの音楽好きの黒人のほとんどがこの映画を観ていない事実に驚愕した。
シカゴの映画なのに、ブルースの映画なのに、シカゴの黒人が観ていない。

映画の主人公が2人組の白人だから。。。というのも大きな理由であろう。
ターゲットを白人に向けて作られた映画なのである。
どのポスターにも、アルバムジャケットにも、黒いスーツと黒いサングラスの白人男性2人組。
これじゃ黒人は、興味をしめしようがない。
映画の中の黒人スターたちの豪華共演も、知らない黒人たちが多い。

反対に、この映画はシカゴの白人たちは大大大好きである。
この映画で、ブルースに興味を持つ白人の若者たちも多い。
シカゴの古典映画となっている。
ブルースフェスティバルの会場で、ブルースブラザースのTシャツを着ている白人たちも多い。

果たして白人たちは、どうしてこれほどブルースを愛するのか。
それはブラックカルチャーではなくて白人文化の話になってしまうので、ここでは取り上げない。
いつか同じように、ブルースファンの白人たちにアンケートを取ってみたいものであるが。


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Mami Takayama

Author:Mami Takayama
シカゴ在住のフォトグラファー&ライター。フォトグラファー的目線でブラックカルチャーを綴ります。

このブログを元に書籍化されたものが、「ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと」となって2011年11月18日発売されます! 発行元はスペースシャワーネットワーク。
ブログの記事に大幅加筆修正、書き下ろしを加えております。いい本に仕上がりました。乞うご期待!

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