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シカゴからダイレクトにお届けする、知られざる黒人文化あれこれ。

Category: 知られざるブラックカルチャー
Good Hair
アメリカ人は、雨が降っても、傘をささずに歩く人が多い。
が、これは黒人女性には当てはまらない。

雨がちょっとでも降り出すと、黒人女性は折り畳み傘をさす。
ビニール製のヒモ付きレインキャップを、かぶる人も居る。
レインキャップの代わりに、なんとあのシャワーキャップをかぶるおばさんだって居る。

ポツリポツリくらいの雨なのに、大げさにビニールキャップをかぶっている彼らを見ると可笑しくて吹きそうになるが、笑ってはいけない。
彼らにとっては、雨は一大事なのだ!

彼女たちの髪の毛は本来強い天然パーマなので、水分や湿気を含むとクリクリになりすぎて収支がつかなくなるから。
それともう一つ、アメリカの黒人女性は、おそらく世界で一番、ヘアにお金をかけている人種なのである。
お金と時間をかけて綺麗にセットした髪を、雨なんかに濡らされてたまるか!!ということである。

シカゴの大学に在学中の時、大学寮での最初のルームメイトが黒人女性であった。
シャーロンは医学生で、日夜、平日祝日問わずの勉強家。
彼女の部屋の床には、解剖学の本の、リアルな内臓図のページが広げられたまんまだったり、ノートも散乱していた。

しかし、寝る間も惜しむ医学生のシャーロンが、絶対に惜しまないでしていたこと。
それは朝の、髪の毛セット。
毎朝少なくとも30分、髪の毛のセットだけでバスルームを独占するので、私はその前にさっさと用事を済ませなくてはならなかった。

バスルームには、我々の化粧道具などが混在していたが、彼女の棚にずらりと並んでいたのは、圧倒的にヘア商品。
縮れ毛をストレートにする「ヘアーリラクサー」と呼ばれるヘア剤を始め(これは定期的に、彼女は髪の毛の根元につけていた)、ヘアクリーム、トリートメント剤、スプレー。。。などなど。
そして朝は、ヘアアイロンで髪を真っすぐに伸ばし、綺麗にセットする。
アイロンを使っている彼女の頭から、スチームが出ていてビックリしたこともある。

超多忙な医学生でさえ朝の30分は惜しまないのであるから、他の黒人女性はもっと時間をかける。
私の黒人の女友達は、一人残らず、本当によくお金をヘアに使う。
しょっちゅう、「今週は美容院に行かなくちゃ」と言っている。
エクステンションやウィーブと呼ばれる付け毛で、「今夜はパーティ?」ってな髪型にする。
付け毛によっては自分でシャンプー出来ないから、美容院に行って綺麗にしてもらう女性も多い。

義理従姉妹のジャニスは「月に平均$400はヘアに使う」と言う。
しかもそれは、決して飛び抜けて大きな額では無いのらしい。
稼いでいる女性たちは、月に$1000使う人も居るとかで。
へたすると、半年くらいヘアカットに行くのを忘れてしまう私には、驚きを通り越して信じられない世界なのだ。

美容院に行って、高級なウィグやエクステンション。。。上を見ればキリが無い。
自宅で全てやる女性たちも、平均して年間にヘアケア製品だけで$1000、ウィーブなどにさらに$1000は使うとか。

低所得者層の黒人女性たちは、お互いに友人同士で髪のセットをしたりする。
彼らは安物の薬剤や染髪剤、エクステンション用の糊を使うので、髪はさらにボロボロに痛む。

夫のファミリーは、祝日ごとに親戚一同のファミリーディナーを開催するので、毎月のように彼らと会う。
そのたびに、女性たちの髪型がガラッと変っている。
先月肩より短いボブカットだったかと思うと、今月は腰まで長いストレートヘアだったり。
伸びたり短くなったりするマジックも、偽物ヘアのおかげ。
若い女性ばかりではない。
義母や伯母など、60代や70歳を超えた女性でさえも、髪型や髪の色が毎回違う。

「一般人」で毎月変わるのだ。
セレブになると、1日で何度も変わったりする。
今月初旬にあった、テニスのUSオープンを観ていた。
怪我のため出場出来なかった、セリーナ・ウィリアムズ。
姉のヴィーナスの試合を観客席から観ていたが、毎回髪型が違った。
肩までだった髪が、2日後にはロングに「伸びて」いた。

黒人女性の髪に触るのはタブーである。
これは、知らない人は覚えておいた方がいい。
うっかり「素敵なヘアスタイルねー」なんて触ると、「何すんの!!?」と怒鳴られるであろう。
綺麗にセットした髪は、時代劇女優のカツラみたいなものなので、触れるのは御法度。

恋人の男性だって、彼女の髪に触れられない。
うちの夫も言っていた。
「過去の黒人ガールフレンドの髪には、触らせてもらえなかった」と。
ベッドシーンではどうなのか。もちろん、「Hell, No!」らしい。
うっかり彼女のヘアを乱してしまったら、いきなり不機嫌になり後が大変だとか。

ハリウッド映画を観ていると、美人黒人女優が雨の中をずぶ濡れになったりするロマンスシーンが時々ある。
好きな男に会いに行くのに、雨に髪を濡らしても平気で居られる黒人女性は、現実には居ないと思う。
だって、黒人女性は、恋人と一緒にシャワーを浴びるなんて事もしないのだから。
映画にはウソが多い。

アメリカではパイ投げという、よく分からない遊びがある(映画の中ではよく見るが、実際に家の中でやっている人を見た事はない)。
これは白人の女の子になら投げても笑ってもらえるであろうが、黒人の女の子の髪の毛にクリームでも付けてしまったら、パーティはいきなりお葬式のようなムードに様変わりするであろう。

先日、野外音楽フェスティバルの会場で、黒人女性のウィグがポロリと取れて地面に落ちたのを目の前で目撃した。
彼女はノリノリで手を上げてはしゃいでいた。
ジャンプした弾みで、はずれたのだ。
スタイリッシュなデザインのカツラの下は、当然何もセットされていない寝起きのような状態である。
慌ててウィグを拾った彼女は、観衆の中でしゃがんだままウィグを頭に乗せて整えた。
その後は、今までのはしゃぎはウソのように下を向いて、大人しくなってしまった。

私は、アメリカ黒人女性が縛られている、「ストレートヘア信仰」を気の毒に思う。
完全にメディアに煽られて、踊らされている。
近年に限った事でない。ずっと昔から。

。。。。「縮れ毛は醜い。真っすぐな髪は美しい」。。。。

テレビやCMや雑誌で、人気黒人シンガーたちのさらさらストレートヘアに洗脳される。
口に出しては決して言わないが、心底には、白人女性の髪に対する憧れがあるのだと思う。
彼らは病的なまでのコンプレックスを、自分たちの髪に対して持つ。
母親が進んで娘たちに、毒とも言える強い液で、彼らの髪を真っすぐにしてやる。
どこが「ヘアー”リラクサー”」なんだ。このネーミングは人を欺いている。

ケミカルな製品のせいで、頭皮がケロイド状になっている人も居る。
(この薬品に缶を浸しておくと、融けてしまう実験を映画でやっていた)。
薬の使い過ぎ(少しでも長くつけておくと、もっと真っすぐになるから)で頭髪が薄くなってしまった人。。。。も見る事が多い。
最初の頃、「どうして黒人女性には、若いのに頭髪が薄い人が多いのだろう??」と疑問に思っていたのだ。
日本で「バーコードはげ」なんて冗談で言うが、女性でああいう感じで地肌が見えている人が多いのだ。

去年、「Good Hair」というドキュメンタリー映画があった。
プロデュースした、コメディアンのクリス・ロックの幼い娘が、ある日「パパ、どうして私の髪の毛はgood hairじゃないの?」と聞いて来た事が発端らしい。
そう、黒人女性たちは、真っすぐな髪の毛のことを「Good hair」と呼ぶのである。
「事の重大さ」に気づいて、黒人女性のヘアの実態についてユーモアを交えて追ったフィルムだ。
この映画を観た時、「やっと作ってくれたか!クリス!」と、彼を讃えた。
なんせ私は、ルームメイトのシャーロンと暮らした日々から、ずーっと黒人女性の髪については疑問を抱き続けたきたから。

本当に「美しい」ということは、コンプレックスから解放されて自信を持つ事だと思う。
クリス・ロックは、インタビュー相手の黒人女性たちに言う。
「君たち、ナチュラルなままで十分美しいのに」
このドキュメンタリーは、黒人女性にだけに向けられたメッセージには思えない。

日本人女性だって、これに似たようなコンプレックスだらけだ。
黒人女性の「髪」へのコンプレックスに匹敵するものは、日本人女性の「目」だと思う。
目を大きく見せるためのメイクアップ方法、プチ整形から二重の手術まで、中高生用の女性誌でも、それらの広告が載っている。
すっとした一重で可愛い女の子でも、目に対する異常な劣等感を持ち、本気で整形手術を考え、その事で頭がいっぱいになってしまう。
「自然のままの顔が、一番綺麗なのに」という言葉は、彼らには聞こえない。
これは「不自然に真っすぐに伸ばした髪は変だよ」と、黒人女性に言っても無駄なのと同じ。
マスコミや化粧品会社、雑誌や美容整形の広告に踊らされた彼女たちは、「くっきり二重まぶた信仰」の信者になってしまうのだ。

「Good Hair」はアメリカの黒人女性たちに一番観てもらいたい作品なのだが、彼らにとっては真実を突きつけられて不快な内容であるから、きっと観ないであろう。
私の周りでも、黒人男性は笑って観ているのに、「面白かった!」という黒人女性は一人も居ない。。。。

私は、黒人女性のナチュラルな縮れ毛を「醜い」と思った事は一度も無い。
彼らはフワフワの髪の毛のままでも、元々の頭が小さくて形がよいので、頭でっかちにならない。
黒人のようなヘアを、日本人の体型と頭の形&サイズでやっちゃうと、とんでもないことになってしまうのだが。

だけど、黒人女性の髪へのコンプレックスとストレートヘアへの執着心は、醜いと感じる。
無理に薬品とアイロンで伸ばした、分厚い焼き海苔みたいに風にもなびかない死んだ髪は、全然美しくない。
本来自分が持っている物へのネガティブな抵抗は、本物の自信になどにつながらない。
ウィグがはずれたがために、いきなり下を向いてしまう姿勢に表れる。

黒人男性が嫌うのは、ガールフレンドが黒人だと、彼女の美容院代を払わないといけないこと。
「アナタのために、私は綺麗になってあげるのよ」というのが言い分らしい。
美容院に一緒に行き、数時間座らされ、あげくの果てに数百ドル支払う。
黒人専用の美容院には、そんな男たちが座って待っている光景がよく見られる。
それも「文化」なのだ。
黒人男性は、自分の父や兄が母やガールフレンドにそうしているのを、見て育つのだ。
だから彼女をゲットするためには、仕方の無い出費なのである。

そして、黒人以外の女性と付き合ったりした黒人男性は気づく。
「え? 美容院代払わなくていいの?」
バッグを買ってくれだの言う女性は、どこの国でもどんな人種でも居るだろうが、特に「美容院代」にこだわる女性は居ないであろう。
黒人女性にとっては、「髪のお金を払ってくれる」ことは、「いい彼氏」としての資格なのである。

とても少ないが、「コンプレックス」から解放された、本来の縮れ毛のままの人も居る。
劣等感から解放された姿は美しい。
「つくづく劣等感を持っている自分が嫌になった」と、髪を切っちゃうハリウッドの黒人スターも、何年に一度かの割合では出て来る。

「縮れ毛のままだと、黒人女性は就職出来ない」なんて事は、今の時代には無い。
「就職出来ないから」なんて大義名分を言う女性も居るが、「コンプレックスから」と言うのが嫌なだけである。

アメリカの黒人女性の「Good Hair信仰」は、しばらく変わりそうにもない。
ホワイトハウスのミシェル・オバマ夫人あたりが、「ヘアーリラクサーは毒なのでやめました」「男性と同じように、女性だってナチュラルでいきます」って、娘たちと3人で縮れ毛スタイルで現れてくれないと、アメリカの黒人女性たちは目が覚めないと思う。
「髪へのコンプレックスからの解放」「子供をヘアケア商品の薬害から守る」導きも、教育問題の根本として、大切なんじゃないかなあ。

こういうことは、ストレートヘアを持つアジア人の私がいくら彼らに提言しても、効き目が無いのである。
また、白人女性が言ったって、誰も聞かない。
嫌みとしか取られないし、黒人女性社会にとっては代々伝えられた「信仰心」と「伝統」なので、改心させられる力は、他人種には無い。
ミシェル夫人がダメなら、オプラ・ウィンフリーかビヨンセに是非お願いしたい。
この3人のうちの誰かなら、確実に大多数のの黒人女性は付いて行く。

だが、黒人女性がナチュラルヘア思考になってしまったら、アメリカの経済に新たに不況をもたらしてしまうに違いない。
なんせ、年間売上数十億ドルの産業なのだ。
国ぐるみの「Good Hair煽り」は、永遠に続くのか。

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Category: 知られざるブラックカルチャー
ステレオタイプ
「黒人は皆、歌がうまい」「リズム感がある」なんて思っている人も多いのではないであろうか?
こう信じているのは、別に日本人に限った事では無い。
黒人以外のアメリカ人たちも、それらは「黒人誰しもの才能」だと信じている人が多い。

歌って踊ってすごいステージを見せてくれるのは、マイケル・ジャクソンに限った事でない。
ジャズのトランぺッターなのにいい声で歌っちゃうし、ブルースのギタリストだって歌で観客を酔わせちゃう。
なんでもござれ、といった黒人ミュージシャンたち。
そのリズム感といい、歌唱力といい。。。。そういう物を持って生まれてこなかった身としては、ひれ伏すしかない。

だが、そんな黒人ミュージシャンたちのおかげで、被害を被っている黒人たちも多い。
それは、音痴、あるいはリズム感無しの黒人たち。
笑えない。。。結構多いんだから。

私だって昔、アメリカに住む前は、「黒人は皆、歌が上手い」って思っていた。
だって、テレビで歌っている黒人は、全員ずば抜けているから。
日本人なら下手くそでも、「プロの歌手」になれてしまうのだけれど。

学生時代、シカゴのアメリカンカラオケバーでウェイトレスのバイトをしていた時、同僚にすっごい黒人美人姉妹が居た。
二人ともモデルで、蜘蛛のように長い足に膝上ロングブーツなんて履いてくるものだから、お客さんから時に「一緒にデュエットして~」と依頼が来る。
妹のアリーシャは歌が好きと見えて、デュエット相手が必要な曲には、いつも快くステージに上がっていた。
よく知らない曲でも、適当にリズムに合わせ、歌いこなしてしまう彼女。
美しいソプラノ。
お客さんからは拍手の嵐。

ところが、妹が歌っているというのに、姉のマリアンはじーっと見ている。
一緒に歌えばいいのに。
二人がステージに上がれば、さぞかし華やかなことだろうに。
そう勧めても、マリアンは絶対に動かない。
てこのように動かない。
「私は歌わないのっ!!」断固拒否の姿勢なのである。

ある時、店が終わってから、店員たちが勝手にカラオケで歌い始めた。
メキシカンのミゲールが、「マリアン! いつも歌わないから、一緒に歌おう!」と誘った。
最初は断っていたが、仕事でないし、緊張が解けたのか、マリアンがマイクを持つ。
おお~!! 歌うのか!! マリアン!!

ところが。。。漏れて来た音は、はるか音符からはかけ離れていて。。。
音が外れているだけでなく、リズム感が。。。無い。
声もよくない。
なんだか綺麗な容姿なだけに、見てはいけないものを見てしまった気がした。

マリアンは歌えないのだが、踊りは上手かった。
一緒にクラブによく行ったが、華麗なるステップを踏んでいた。
ダンスのリズム感と歌の上手さは、そりゃあ全然違う物だろう。
だけど「黒人だったら両方上手いだろー」って思われてしまうのは、やはり可哀想なのであった。

クラブで見る限りの黒人は皆、踊りが好きで来ている連中なので、「ダンスがすこぶる上手い」のは当然なのだ。
そこで「黒人は皆ダンスが上手い」と思っては早合点し過ぎ。
クラブなんかでとてもダンスを公にお披露目出来ない黒人だって、わんさか居るのである。

夫の同級生のベンジャミンは麻酔科医だが、副業でダンススタジオを開いて講師をしている。
ダンスの才能はピカ一で、医者になろうかダンサーになろうか、大学時代に真面目に悩んだ人である。
ベンジャミンと一緒にクラブに行くと、フロアに居る全員の視線がベンジャミンに向けられ、ベンジャミンの周りは空間が出来る、夫は言っていた。
だけど、「気の毒な程、ベンジャミンは音痴なんだよ」と夫は言う。
歌えないダンサーは、ブロードウェイは目指せない。
医者になって正解だったであろう。

「ブラックなんだから歌えるでしょー?」と言うのは、「アジア人なんだから数学得意でしょー?」って言われるのと同じだよ、と夫は言う。
そう、アジア人のステレオタイプなイメージ。。。。「理数系科目が得意」。
数学に関しては、アメリカのレベルが低すぎるってのもあるのだが。
「数学得意よね?」と言われて、困る日本人も中国人も多いはず。

しかし、黒人に歌が上手い人が「多い」のは事実であろう。
歌の上手い確率というのか。
それからリズム感がある人が「多い」というのも事実。
ものすごい音痴も居る事は忘れてはいけないが。
上手い人のレベルがすごく高いから、音痴が余計に際立ってしまうのか。

シカゴの夫の親戚一同集まるファミリーディナーでは、いきなり誰かが歌い始めて、皆がそれに合わせて歌を続ける。。。というシーンがよくある。
義理ママを始め、教会のゴスペルで鍛えた喉の持ち主が沢山居る。
音程をはずして足をひっぱるおじさんとかおばさんとか、皆無なのである。
全員で綺麗にはもるのだ。
誰かがメロディーラインを歌うと、他の人は適当に高音、低音でアレンジして色をつける。

これを日本の我が親戚一同でやったらどうなるだろう?と想像すると、ちょっと恐ろしい。
幼い姪っ子と一緒に歌を歌っていた時、義理の妹に「お義姉さん、歌が上手いですよね」と言われたことがある。
私で「上手い」と言われてしまう事実を、夫にはとても言えない。
いや、実はその事実を言った。
じーっと私の顔を見て、彼はため息を一つだけついた。
その「ため息」は通訳すると、「日本人って信じられない」って言っているように私には読めた。
私だって小中学校の時の音楽の成績は、ずっと5だったんだけどな。

どこのブラックファミリーも、父方も母方も両方親戚一同合わせたら、その中に1人くらいは、プロ顔負けの歌唱力の持ち主が居るのではないか。
我が夫ファミリーにも居る。
歌だけなら、ホイットニー・ヒューストン並みの女性が。
親戚の「元妻」なので、血縁関係はないのだが。
しかし、ご存知の通り、「歌だけ」で成功できる世界ではないのである。
女性なら、容姿も大切なエンターテーメントの世界。
プロ根性がある人か。
ドラッグ中毒でないか、またはドラッグの誘惑に勝てる性格か。
ビジネスとして歌って行ける人か。
異性関係、金銭感覚はだらしなくないか。
色々なこと全部ひっくるめて、世で成功出来るかどうかが決まる。

我がファミリーの「ホイットニー・ヒューストン」は、痩せれば可愛いのであろうが、体格は日本の元女子プロレスラーの、アジャコング並みだ。
才能を大事にしないでドラッグ中毒になった日々もあり、リハビリを繰り返す生活で、とてもプロとしては活躍していけないだろう。
そうこうしているうちに、年もとってしまった。
大体の「素晴らしき歌の才能の持ち主」は、このように宝を腐らせていくのだ。
それが黒人社会の悲しい現実でもある。

ジェニファー・ハドソンはデビュー前、シカゴサウスサイドの教会で歌っていた。
彼女並みの歌い手も、シカゴの黒人教会を端から端まで探せば、いくらでも発掘できるだろう。
しかし、既に述べたように、スター街道を駆け上って行けるのは、歌の上手さだけじゃどうにもならないのだ。
環境が大いに恵まれていたホイットニーも、プロになってからドラッグでボロボロになってしまったが。

まあ、どの国民にも、どの人種にも「ステレオタイプ」というのが存在する。
全員が全員そんなんだと思われるのも迷惑だが、当たっている点は大いにある。
人は、その典型的なステレオタイプに出会った時に喜びがちである。
だからきっと、外国人が黒人に期待する物って、ヒップホップ的なノリであり、エディ・マーフィのようなブラックイングリッシュでマシンガントークしてくれる黒人だったりするのかも。
歌が上手かったりステップが軽やかだったりすると、「おお、さすがー」となるのだろう。

初めて会った黒人が、メガネかけて非常に丁寧な言葉遣いで話す弁護士だったりしたら、イメージが違ってガッカリしたりなんかして。
しかも彼が「僕は踊れません」なんて人だったら、「彼はブラックじゃない」「ちょっと違う」「見なかった事にしよう」ということになってしまうのだろう。
「見なかった事に」される黒人は、意外と多いのだ。
「見なかった事に」される人も、正真正銘のブラックですから。。。。ちゃんとカウントしてあげましょう。

メディアに作り上げられるイメージの影響は計り知れない。
ステレオタイプというのは、イメージの洗脳でもある。
人間と直接関わらなくても、本や漫画やテレビやウワサから覚える浅い知識である。
「歌が上手くてリズム感がある」なんていうステレオタイプのおかげで肩身の狭い思いをしている黒人は、数学が不得手で困っている日本人よりずっと多いのだ。

ステレオタイプを見るのも楽しいが、サッカーの嫌いなイタリア人男性とか、家族を大切にしない中国人とか、経済的観念の無いユダヤ人とかに会った時の方が、その民族性の多面に触れられる貴重な機会だ。

ステレオタイプでない人間を、より数多く知れた事が出来たときこそ、人はその文化をよりよく知っている、と言えるのではないか。
そして、ステレオタイプでない人間からにじみ出る「典型的な例」こそ、その国民性や民族性や県民性などの奥深いカルチャーを、物語っていると思う。

先日、テレビドラマの「Entourage」にマイク・タイソンが出演していた。
驚いた事に、スクリーンの中で彼が歌っている。
さらに驚いたのは、彼がひどい音痴だということ。
聞くに耐えられないはずれ方である。
放送禁止ギリギリの線である。
世界中の音痴が、彼の前では自信を持てるであろう。

マイク・タイソンは、類い稀なパンチ力を始め、ボクサー能力に恵まれていた。
これで美声で歌が上手かったら、世間に申し訳ないだろう。
バランスを取るために、神様が彼の音感にいたずらしたのかもしれない。

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Mami Takayama

Author:Mami Takayama
シカゴ在住のフォトグラファー&ライター。フォトグラファー的目線でブラックカルチャーを綴ります。

このブログを元に書籍化されたものが、「ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと」となって2011年11月18日発売されます! 発行元はスペースシャワーネットワーク。
ブログの記事に大幅加筆修正、書き下ろしを加えております。いい本に仕上がりました。乞うご期待!

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