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シカゴからダイレクトにお届けする、知られざる黒人文化あれこれ。

Category: 知られざるブラックカルチャー
SingerとSanger
スラングで、黒人は「Sing」と「Sang」を使い分ける。
「歌う」の意味の「Sing」。
「Sang」はSingの過去形ではない。
Sangには、単に「歌が上手い」というのよりも、もっと「魂の入った」「コブシを効かした」(これは演歌の表現になってしまうか。。)みたいな意味がある。
スラングなので辞書にもない言葉であり、説明するのは難しい。

「Sanger」とは、歌い手に対する、最高の賛辞でもある。

例えば「マドンナはどう思うか?」と聞くと、黒人たちは「彼女はSingerですらでない」と言う。
黒人たちの評価を得るのは、大スーパースターにとっても大きなハードルだ。なんせ黒人は、耳が肥えているのである。。
生まれたときから「慣れ親しんだ」「レベルの高い」環境というのは、超えた目や超えた耳の土台を作る。イタリア人のそれが「サッカー」であるように、黒人のそれは「歌」なのだ。
ただマドンナに関しては、黒人男性も女性も「偉大なパフォーマー」として評価している人が多い。よきパフォーマーというのは、歌が上手いだけが全てではない。彼女の観衆の魅せ方は、例え「Singer」ですらなくとも、エンターテーナーとしてトップレベルだ、と彼らは評する。

さまざまな黒人の友人たちに、彼らにとっての「Singer」と「Sanger」を聞いてみた。
あくまでもこれは、個々人の意見である。そもそも耳から聞こえる歌なんて、個人の感性に委ねられるものだ。
日本人にとって「上手い」と評されているシンガーたちも、「単なる」Singerで、決してSangerでなかったりするのも面白い。

(男性「Singer」)
Nat "King" Cole、Luther Vandross、Jackie Wilson、Bob Marley、Usher、R. Kelly、Curtis Mayfield、Prince、Maxwell、Phillip Bailey、Sam Cooke、Aaron Neville

(女性「Singer」)
Billie Holiday、Whitney Houston、Mary J. Blige、Anita Baker、Lauryn Hill、Alicia Keys

次に、黒人たちから「Sanger」の評価をもらった人たち。
(男性「Sanger」)
Anthony Hamilton、Otis Redding、David Ruffin、Al Green、Marvin Gaye、Wilson Pickett、Aaron Neville、Eddie Kendricks、David Ruffin、Ronald Isley、Donnie Hathaway、Phillip Bailey

(女性「Sanger」)
Aretha Franklin、Lauryn Hill、Mahlia Jackson、Sarah Vaughn、Gladys Knight、Mavis Staples、Chaka Khan、Jennifer Hudson、Sharon Jones

あくまでも個人の意見なので、同じ歌手が「Singer」と「Sanger」に分かれていることもある。「いやー、彼(女)は単なるSingerだよ」「いや、Sangerだと思うね」なんて言い合う事もある。彼らは音楽に関しては永遠に話せるのだ。

アメリカで音痴な黒人を探すのは、実に簡単である。
黒人たちに「日本人の多くはどうも、黒人は皆歌が上手いと思っている」と言ったら、笑われた。「そこら辺に下手なヤツは、山ほど居るのにね」と。
しかし歌の下手な黒人も、耳は肥えている。音楽を分からない黒人を探すのは、実に大変なのだ。スポーツに興味の無い黒人は結構私の周りにも居るのだが、音楽に関心が無い人は皆無である。音痴な黒人も、歌の下手なシンガーをこき下ろす。自分のことは棚に上げて。

そういう私も自分では歌えないくせに、黒人社会と接するようになってから急激に耳だけは肥えてしまった。自ら別に求めなくとも、周囲に「いい音楽」「いい声」がいっぱいあるのだ。
「肥えてしまった」と気づいたのは、一昨年6年ぶりに日本に帰国した時。
クリスマスの季節だったので、至る所でグループがクリスマスソングを歌っているのに出くわした。
うわ。。。あまりに下手すぎる。。。音がはずれっぱなしではないか。聞くに耐えられない。英語の発音云々なんて言わない。音程や声の問題である。あまりにひどくて、こちらが恥ずかしくなってきた。
これは、日本にずっと居る時は気にならなかった事。下手な歌手でも、耳に入る程度なら平気だったのだ。別にのけぞる程下手さに驚いたりしなかった。その低レベルに慣れていたのだろう。
アメリカでは、なにげに道を歩きながら歌っている黒人や、学校帰りに4~5人でハーモニアスに合唱しながら歩いている女子高生たちでさえ、レベルが高いのである。

先ほど例を挙げた、SingerとSangerたちは全員黒人アーティストである。
黒人歌手の方が歌が上手いとか、多いとか。。それはもう仕方の無い事実である。だが白人たちにももちろん、素晴らしい歌手は沢山居る。
そういう白人歌手たちを、「耳の大いに肥えた」黒人リスナーたちはどう感じているのか?
果たして、白人歌手の中には、単なるSingerではなくて、れっきとしたSangerが居るのであろうか?
黒人が認める「白人Sanger」を聞いて回ったら、以下のような回答が返って来た。

(白人男性Sanger)
Michael McDonald、George Michael、Tom Jones 、Van Morrison、Daryl Hall、Joe Crocker、Remy Shand、Chris Cornel、Steve Winwood、Todd Rundgren、Bono、Mick Jagger、Robbie Nevill、Robin Thicke、Doctor John、Robert Plant

(白人女性Sanger)
Joss Stone、Tina Marie 、Mariah Carey、Annie Lennox、Janis Joplin、Barbara Streisand、Anastacia

この中で、マイケル・マクドナルド、ジョージ・マイケル、ジョシュ・ストーンは複数の人が回答している。
ジョージ・マイケルに関しては、「白人だと思っていない」などとジョークを言う黒人も多い。「黒人並みだ」という賛辞である。
ミック・ジャガーやジャニス・ジョプリンなど、歌の上手さや声質だけでは劣っていても、パッションがある人、魂から歌を歌う人の事は「Sanger」と高く評価するようである。

「マイケル・ジャクソンがどこにも入ってないじゃないか?」と思う人も多いと思うので付け加えておくが、「マイケルはあまりに当然すぎるから必要ないでしょ」と言う人が多かった。「誰が見ても、当然Sangerでしょ」ということである。

ところで私は、マライア・キャリーは黒人歌手だという認識で見ていたのだが(ルックスもそうだけど、歌い方とか)、「彼女は白人」と言う黒人が多いのでビックリした。
母親が白人で、父親が黒人。。。という境遇はアリーシャ・キーズも同じ。
二人の違いは、アリーシャは「私はブラック」と公言していること。マライアは、「自分は混血」という言い方をして、「ブラック」とは一度も公言していないことが理由らしい。

血の出方は人それぞれ。
混ざっている血の濃さに関係なく、白人のように見える黒人も居れば、ミックスでも黒人にしか見えない人も居る。
要は自分が何人かというアイデンティティーに託される。そう思って生きていればそれらしくなるわけだし。
どう見ても見かけは白人なのに、「オレはブラック」と公言している人は、やはり黒人なわけで、マライアのように「混血」としか言わない人は、やはり黒人としてのアイデンティティは薄いのであろう。

ジェロという黒人演歌歌手が、日本で活躍していると日本人から教えてもらった。アメリカでは全然知られていない。演歌の市場は無いので、当然であるが。
ジェロの歌をYouTubeで夫に見せたら。。。。かなりウケた。夫はそれをさらに、色んな黒人の友人の所に送った。さらにウケた。「ウッソでしょー?」という人が多かった。
自分たちと同じ黒人が、遠い異国の地で、日本語で、聞いた事も無い歌のジャンルを歌っているわけだ。しかも格好はヒップホップ系。そりゃ「ウッソ」みたいでしょう。
「歌は悪くない(下手ではない)んじゃない?」と言う黒人が多いが、彼らが認める「Singer」レベルからはほど遠い。 Singerだったらわざわざ日本に行かずに、アメリカでデビューしているか。
外国に出て活躍する事も少ないアメリカ黒人なのであるから、ジェロのような存在はかなり異質である。「変わったヤツが居るんだね。。。」と、結構「同胞」の異国での活躍には心の中で拍手する人が多いようだ。。。彼のCDを買って、演歌を聴くようになる事は決して無いと思うけれど。

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Category: 知られざるブラックカルチャー
いじめの原因
日本でも小中学校のいじめの問題が絶えないが、アメリカでもそれは同じ。
いじめの原因はアメリカでは人種問題も加わり、◯◯人だからいじめられるとか、人と違う容姿だと目立つがゆえに対象になったりする。
ゲイの高校生がリンチに遭うとか、人とちょっと変わっている生徒は、いじめる側にすれば的にしやすい。。。という点においては、どこの世界でも同じかもしれない。

ところで、黒人の多い(あるいは100%黒人の)小中学校で一番のいじめの対象は、勉強のできる子である。頭のいい子、成績のいい子がいじめられる。
頭のいい子がモテるのなら分かるが、黒人の子供たちの価値観では「頭の悪い子がカッコいい(クール)」のだ。
私の小中学校時代、モテて人気のある男の子というのは、スポーツが出来て勉強が出来て面白い子、であった。
いわゆる運動だけが出来て勉強はダメな子(スポーツ馬鹿と呼ばれていた)は論外だったし、勉強だけで運動音痴な頭でっかちタイプもモテなかった。そして勉強のできる子がいじめられるという事は全くなく、どちらかというと頭のいい子は人より大人びているのでリーダーシップを取っていた。

夫は東部のプレップスクールに通う前は、シカゴの公立の小中学校に通っていた。学校や地域でもトップの成績のいい生徒であったが、いじめの対象にならなかったのはスポーツがよく出来たから。
もし運動音痴の子だったら、「毎日ロッカーに閉じ込められてただろうな」と夫は振り返る。
黒人(子供)社会において、スポーツが出来るという事はヒーローなのである。例え頭が空っぽで、勉強も大嫌いで、他の成績がオールDだとしても、行く高校が無かったとしても、スターになれてしまう。

アメリカは学歴社会である。
しかし、頭のいい子が褒められ、いい学校に行く事が名誉で。。。というのは白人の価値観で、多くの黒人にはそういう価値観が無い。残念ながら、教育が大切だという事に気づいている黒人というのは実に少数派だから。
黒人の子は頭がいいと、学校で「White」と友達に呼ばれる。
夫はいじめられはしなかったが、「どうしてそんなにWhiteになりたいの?」とさんざん言われたらしい。勉強するのは、白人になりたいからではなく、物を知りたいからなのに。物を知る事が面白いからなのに。
残念ながらほとんどの黒人の子供たちにとっては「勉強する=白人になる」という図式なのである。あああ。。。なんという現実。夫は幼少の頃から、この黒人子供社会の実態に辟易していたのだ。夫に限らず、頭のいい黒人の子供たちは、小さい頃に必ず「白人」と呼ばれた経験があろう。

知り合いのシカゴの大学生で、教育実習中の学生が居る。
彼が黒人地域の小学校に教えに行ったら、ある1人の黒人の男子生徒が質問に対して「分からない。だって僕はブラックだもん」と平然と答えたらしい。
「ブラックだから分からない」って。。。。。同じ黒人である彼は、それを聞いて嘆いていた。
黒人だからバカである。黒人だからバカでいい。バカのままでいいから勉強しなくていい。勉強出来ないのは黒人だからだ、自分のせいじゃない。黒人というのは本来バカだから仕方ないのである。。。。。本気でこう信じている黒人の子供が多いのだ。
頭のいい黒人の子供が居ると、「だって彼は”White”だから」と例外視される。あるいはからかわれ、いじめられる。

頭のいい子はいじめられるので、わざと頭の悪いフリをする事が多いのも、黒人学校におけるシリアスな問題点の一つ。
勉強が出来てしまうと友達が出来ない。女の子にモテない。いじめられる。。。いい事無しなのだ。「クール」で居るために、テストの点をわざと取らない、白紙で出す。勉強しない。宿題を無視する。物を分からないフリをする。こういう生徒が本当に多くて困る、と教員の友人は言っている。

この価値観はどこから来たかというと、NBA(バスケットボール)の選手たちと、MTVの黒人ラッパーたちの言動からの影響だ、と説明する黒人も多い。
NBAの選手たちは一部を抜かして、ストリート上がりやプロジェクト育ちの貧困層出身者が多い。一歩間違えば、ドラッグディーラーや大きな体を活かしてギャングになっていただろうプレイヤーたちも目立つ。その生い立ちを隠さない事は別にいい。ただ、彼らの言動は子供たちに間違って理解される。
どんなに貧乏でも、バスケットボールで大金持ちになれるよ。勉強なんか出来なくても、しなくても、ストリートでバスケットしていればスカウトされるよ。ボールで遊んでいれば、僕らみたいな億万長者になって、綺麗なモデルの奥さん見つけて、大豪邸をいくつも買って、車を何台も買えるよ。どんなに家が貧乏でも、プロの選手になればママに大きな家もプレゼント出来るよ。。。。。。

子供というのは、都合のよい所だけ耳を傾けるのだ。そして本当にそういうアメリカンドリームが自分にも起こるかもしれない。。。。などと夢見るのだ。
勉強などしてもたかがしれている。彼ら(NBA選手たち)は勉強しないで大金持ちになった。僕も彼らみたいになりたい。
大きな影響力を持つ選手たちが、ちゃんとした話し方をしない。きちんとした服を着ない。全身タトゥーなのである。黒人の子供たちが一番尊敬して見ているのは、彼らなのである。その「彼ら」が、勉強の大切さなんて一言も話さない。
マイケル・ジョーダン引退後は、「選手面だけでなく、人間面でも子供たちが尊敬出来る人物が居なくて残念」と、教育熱心な黒人の父兄らは嘆く。

そしてMTVに出て来る黒人ラッパーたち。
才能のある人たちも沢山居るが、耳を疑いたくなるような歌詞を連呼するだけのグループも居る。表現の自由は認めるので、誰が何を歌おうがいいのであるが、子供たちへの影響を考えると恐ろしい。彼らも、「貧乏育ちだけど、ラップして大金持ちになったよ」「クールな男は女にモテるぜ」系のメッセンジャーなのだ。そこには、努力だとか勉強だとかという欠片は一切ない。
頭が悪くて(=クール)、女にモテて、派手な服装して、ブリンブリン(首からのヒカリモノ)をつけて、改造車に乗って、卑猥な歌詞を連呼してればお金が入るよ。。。みたいなPV。

実際に、NBAでもラッパーの世界でも、成功者たちは何らかの努力は人並み以上にしているはずなのである。その前に才能が無いといけないが。だけれど、彼らから伝わって来るものは、巨万の金の部分が大きくて、単純な子供たちはその部分だけに目が行くのだ。
お金持ちになるのはいいのだけれど、得たお金や物を分かりやすくひけらかす点は、黒人文化と言ってよい。
アメリカには他にも大金持ちは沢山居るのであるが、黒人NBA選手とラッパーたちというのは、メディアの露出度とイメージとプライバシーの公開などで、黒人の子供たちにとってはものすごく分かりやすいアメリカンドリーム像となってしまっている。この責任は大きいと、私は感じるのであるが。

さて、いじめられたり悪口を言われたりする才能のある黒人の子供たちは、バカのフリをするか、いじめっ子を無視するかのどちらかの選択を迫られる。
チャンスがあってコミュニティを抜け出せた者は幸いである。コミュニティを抜け出す事すら怖くて、バカのフリをしているうちに本当にバカになり、負け犬となる黒人層がほとんどだから。そして自ら稼ぐ事もせず、その術も学ばず、生活保護に頼りながらそのまま人生を終わらせる。勉強のチャンスがあったにも関わらず、しなかった自分のせいではなく、全て社会のせいにして。

元国防長官のコンドリーザ・ライス氏は才女で有名である。教育熱心な両親に「不公平な体制に打ち勝つためには、黒人は少なくとも白人の2倍優秀でなくてはいけない」と教えられて育った。彼女の時代に、黒人であり女性である彼女が、あの地位を得るためには、2倍どころの努力ではなかったと思う。
彼女も「ホワイトハウスの白人たちの奴隷」とか、黒人たちに勝手な事をさんざん言われ続けた。黒人で頭が良いと、何をしてもなんだかんだ言われる運命なのである。大人になっても政治家になっても。周囲の中傷を耳に入れず、我が道を突き進んで来た者たちにとっては、そういう事を言う人たちは哀れにしか見えないと思うけれど。
元長官の現役時代のポリシー云々には辟易する事も多いが、彼女が積み上げて来た努力に対しては誰も何も言えないはずだ。

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Shugga Shugga Shugga
夫と暮らし始めた頃、アイスティーの作り方でも文化の違いを感じた。

彼はガラスの空き瓶に水を入れ、その中にティーバッグをいくつか入れる。そして夏場は、それを日向に数時間置いておくのである。確かに水出しでも、紅茶の色はどんどん出る。
それを「サンティー(sun tea)」と呼ぶ。南部文化から来ているらしい。
サンティーを作れるのは、シカゴでは夏場だけ。冬は日照時間も短いし、家の中に強い日も入らないから。

日向で水出しにするのはいいのだが、驚くのはその後だ。
それは砂糖の量。ハーフガロン(2リットル弱)の水に対して、約1.5パウンド(約700g)の砂糖をざーっとじょうごで流し込むのである!!

夫の作るサンティーは、悪いがとても飲めたものじゃない。歯が融けそうになる。
「そんな砂糖の量使ってたら、健康に良くないよ。甘すぎるって思わないの?」と聞くと、「ママから教えてもらった分量通りだ」とこともなげに言う。
買い物のたびに、砂糖の袋を買う。こちらの袋は標準サイズで5パウンド(2.27kg)ある。
それがどんどん無くなる。私だったら、1年かかって使う量を、1~2週間で使い切る。

いくらママのレシピだろうが、健康に良くない事は明らかだ。肉体労働してるわけじゃないんだし、そんな甘い飲み物を1日に何倍も飲んでどうする。
私は、夫と暮らし始めて数ヶ月後に、この毒のように甘いサンティーを止めさせた。
代わりに勧めたのは、日本の麦茶である。夫は「美味しい!」と気に入り、砂糖無しの麦茶をごくごく飲むようになった。

日本では、アイスティーは無糖のまま冷やしていた。家族であっても、無糖、加糖、砂糖の量だって人それぞれ違うからだ。
だが黒人家庭では、既に決められた砂糖の量の甘ーーーいアイスティーが冷蔵庫に入っているのである。甘さは、作る人によって勝手に決められてしまう。
義理ママの作るアイスティーは、非常に甘い。カルピスの原液をコップ半分くらい入れて薄めて作ったカルピスくらい、甘い。
最初の頃、無糖を想像してゴクンと飲んだ私は、吐き出してしまった。それ以降、義理ママのアイスティーは、内緒で水で薄めて飲むようになった。

義理ママのアイスティーだけが異常に甘いのかというとそれも違う。
黒人地域の黒人客しか居ないようなレストランで出て来るアイスティー、これも吐き出す程甘い。わざわざオーダーしたのに飲めずに無駄にした経験以来、私はソウルフードの店や黒人レストランに行った時は、水を飲むようにしている。

夫は子供の頃、哺乳瓶に入れられた砂糖水を飲まされていたという。まだ歯も生えない子供に、砂糖を大量に入れた水なんて! 
これもブラックカルチャーなのだ。
南部のアイスティーがすごく甘いのと同じで、彼らは水にも砂糖を入れて飲むらしい。義理ママはシカゴ生まれであるが、彼女の両親は南部出身なので、その「郷土文化」を引きずっている。

黒人家庭を舞台にしたテレビドラマ、「Everybody hates Chris」というのがあった。
このシットカムは多少大げさに黒人家庭をおもしろおかしく描いているものの、黒人家庭にありがちなエピソードをポイント鋭くついて描写しており、毎回大笑いして観ていた。
80年代のNY、ブルックリン。シーンはディナーテーブル。10歳くらいの男の子が、ガラスコップに入った水に、何食わぬ顔で1杯、2杯、3杯、4杯とスプーン山盛りの砂糖を入れるのだ。
それ見て笑った。どこかで聞いた話がそのまんま(笑) NYとシカゴ、場所は変われど、こういうブラックカルチャーは同じ。

しかし昔は、子供は夏の暑い日でも、外でかけずり回って遊んでいたのだ。家の中のクーラーの中で、1日過ごす子供なんて居なかったのだ。クーラーが入っている家だって少なかったし、家の中だって夏は汗だくになるほど暑かったのだ。だとしたら、あの砂糖の量は分かる。流れる汗の量を考えると、甘いアイスティーを飲んでも、彼らが太っていなかったのも頷ける。
だが今は。。。。生活習慣がすっかり変ってしまったのに、飲み物に入れる砂糖の量だけは変らない。。。
アメリカの料理の砂糖の量は日本のそれと比較すると驚く程多いのであるが、アメリカの中でも黒人の味付け、好みの味はさらに甘いと言ってよい。

義理従兄弟の奥さんがケニア人で、彼女もアフリカの紅茶文化で育って来た。
彼女も、「このサザンスタイルスウィートティーは、喉が焼ける」と言って一切手をつけない。
ファミリーの中でアイスティーの甘さに関して異議を唱える人は、私と彼女だけ。。。そう、外国人の2人だけ。
彼女は「不健康この上ない」「美容面から」という理由で、パーティに出るフライドチキンにも、フライドキャットフィシュにも一切手をつけない。アメリカの揚げ物は、食べると気持ち悪くなるそうだ。
彼女も正真正銘のブラックではあるが、ソウルフードはアフリカンではなくて、本当にアメリカンブラックカルチャーなのである。

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男同士の挨拶
日本でもかなり前から、ブラックカルチャーなるものが紹介されるようになった。

ドレッドヘアにする日本人の若者まで沢山居た時代もある(今も??) 直毛にわざわざ、アフロというか乱暴な爆発パーマをかけ、それからドレッドにすると言う。美容院で10時間ほど過ごすらしい。アフロをかけた時点で美容師も疲れてしまい、歌舞伎の獅子のような頭で外にランチ休憩に行って、世間の注目を浴びた知り合いの男性も居る。ファッションのための忍耐。その日本男児の気合いとご苦労は、「Good Hair」にも書いたがアメリカの黒人女性にも負けず劣らず。

それからヒップホップ系ファッションの到来で、ジーンズをやたらと下げて歩く日本人男性も居た(今も??)  そんな格好などしない黒人たちからは、失笑もかっていた半ケツ見せファッション(腰パンと言うらしい)。アメリカでも、そういう格好をしていた黒人というのは、一部である。
黒人というのは、お尻がポコッと形よく出ているので、腰の途中で止めても、山のてっぺんで引っかかる。かなりズリ下げていても、腰の位置が高いので、短足に見えない(例外は居る)。
しかし、日本の胴長短足君がやっちゃうと、ヘタすりゃ股下40cmくらいになる。平らなお尻で止めようとするので、ベルトでかなり絞めないと本当に落ちてしまう。ファッションはど根性である。

何かに憧れたりして、何かになりきったりするのは若者の特権なので、それはそれでいいと思う。若気の至りを利用して、したい年齢の時に十分して、卒業しておくべきだ。
高齢になって目覚めてドレッドヘアにしたりなんかすると、そもそも弱ってきている頭皮を痛めてしまって、二度と髪が生えてこなくなる恐れもあるから。

文化の浸透というのはすごい。近年はスピードも速い。元気な文化というのは、どんなに変でも可笑しくても広まって行く。
逆にどんなに高尚な文化でも、「保護しよう」なんて考えられる文化は、既に廃れている証拠なのである。
「元気な」ヒップホップ文化は、誰が止めようと思っても、止められない勢いを持っている。

しかし、文化というのは真似されても、表面だけが取り入れられて終わってしまう物が圧倒的に多い。
カッコいいからと模倣しても、その歴史や背景、哲学や精神までは受け継がれない。そもそもバックグラウンドが違う文化なのだから、受け継げるわけもないのである。
中身は完全に無視して、表のファッションだけを受け継ぐのも、それはそれでいつの時代もあることである。そもそも、「軽い」から流行るのだ。いや、軽い部分だけ、流行るのだ。

ブラックカルチャーに憧れる若者は、日本人だけではなく、アメリカの白人の若者たちも同じ。夏休みに、シカゴの郊外の白人居住地や周辺の白人の多い州から、「冒険」しにシカゴの街にやって来る若者たち。黒人の多い店に行き、ちょっとイキがってみせる。

そこで多いのは、うちの夫を含め、店に居る黒人たちに、やたらと汚い英語で喋りかける白人の若者たち。そういう言葉が、カッコいい「黒人英語」だと勘違いしているのだ。テレビや映画で「学んだ」ブラックイングリッシュを駆使し、「俺は話せる白人だぜ」とでも言いたげに、「”ヨーヨー”英語」で頑張る。
迷惑するのは、白人にそんな英語やラッパージェスチャーで話しかけられる黒人たち。口をあんぐり開けて、「エミネムになりたい症候群」の白人若者たちを見つめてしまう。

“mother fu**er”なんて言葉が、一般の黒人たちの挨拶言葉くらいに思われているとしたら、それはメディアの重大責任であろう。そして、「冒険しに来る」白人の若い男の子たちは、やたらとこういう言葉を使うのである。
。。。。無理しすぎ。。。。

模倣というのは、やたらむやみにしても、失笑をかうだけなのである。コピー商品、模倣建築、模倣キャラクター。。。真似されている方は、失笑を通り越して不愉快になるときも多い。表面だけ真似をして、「アンタたちの仲間に入れてよ」と訴えても、相手にそれは通じない。

黒人男性と挨拶する時に「ヘイメーン!」とか言って握手したり、やたらと「ブラザー」とか言ったりして、ブラックっぽく行動したいアジア人とかも見かける。「ブラックな」握手を交わしても、それは「同胞」と見なされた訳ではない。
ちなみに黒人男性は皆同胞を「ブラザー」と言うと勘違いしている日本人も多いが、うちの夫も従兄弟たちにも、血縁関係の無い他人の事を「ブラザー」なんて呼んだりしない。ただ、見知らぬ黒人から路上で「ブラザー」と馴れ馴れしく呼ばれる事はある。そう呼ぶ人たちは決まってなにか、「黒人同士だから分かり合えるぜ」「黒人同士だからお金くれるよね」「助けてくれるよね」と、自分と同じ肌の色の人に甘い期待を抱かないと生きて行けない輩たちである。教養のある人間たちは、見た事もない人間を肌の色だけで判断して「ブラザー」などと言ったりしない。

白人たちがどんなに表向きに友好的であっても、白人と他人種との間にきっちり線を引くように、黒人たちの線の引き方もキッパリしている。
必ずしも差別的行為とは思わないが、区別はきっかりするのである。これは人類誰しもが持っている性みたいな物だと思う。良い悪いは別として。

黒人男性が、黒人男性としか交わさない「挨拶」というのがある。
これは、相手を黒人男性と見なした時にしかしない。知り合い同士は握手や言葉などという挨拶手段があるが、ここで言うのは「お互いに知らない黒人男性同士」の挨拶である。目が合えば、必ず交える挨拶。。。。アゴをクッと上に上げるだけの、簡単なもの。

至る所でそれは交わされる。クラブで、エレベーターの中で、通りを歩いていてすれ違いざま、スーパーで、公園で、コンサート会場で、レストランで。。。。。”Hello”も”Hi”も、一切の言葉の無い、 アゴの「クッ」だけ。

連れの奥さんやガールフレンドが白人やアジア人であろうが、これだけは「絶対に」なされる。白人家庭の養子で、白人の環境で育った黒人でもこれはする。何故なら、こういう慣習を家庭や学校で教わらなくとも、「世間」に出て自分が黒人と見なされれば、黒人たちから「クッ」とされるので、自然に覚えるわけだ。

黒人があまり多くないシチュエーションになるほど、それは顕著になる。白人地域のレストラン、ショッピングモール、公園、ビーチ。。。そういう場所で有色人種は目立つ。そして、滅多に居ない黒人男性がすれ違うと。。。「クッ」。
「クッ」には、色んなメッセージが込められているのかもしれない。

アメリカのスポーツ選手というのは、スターであっても地元の普通の店に、ふらっと現れて酒を飲んでいたりする。友人が経営するレストランで夫と食事をしていると、仕立てのいいスーツを着た黒人男性が1人で、目の前のカウンターに座っている。その部屋には黒人は彼と、私の夫だけであった。2人は目が合うと「クッ」
やたらと背が高い人だなあ。。。と思っていたら、有名なシカゴのNBA選手だった。夫と彼は、個人的な知り合いでもなんでもない。「黒人」という共通点があるだけである。

同じように黒人の少ないバーで、野球選手と会った事もあった。ボー・ジャクソンというWhite Soxの黒人選手だったが、彼は他の白人客に対しては単にスターにありがちな笑顔を振りまいていたのに、夫がカウンターに寄った時には明らかに知り合いのような素振りで近づいて握手してきた。「意外な所に居る黒人」というのは、どこかの誰かで自分とつながっているかもしれない。。。みたいな気持ちがあるのかもしれない。夫は、黒人が居るというだけで挨拶しにいくタイプの人間ではないが、彼自身がそうじゃなくても挨拶「される」のである(笑)

習慣や文化というのは、自ら進んで育まなくても、受け身の状態でも十分に身に付くものである。
夫自身はブラックだとかホワイトだとかで人間を見る人ではないのであるが、人からブラックだと見なされる事で身に付くブラックカルチャーという物は大いにあるのだ。その一つが、こういうブラック的挨拶であると思う。
前に「ステレオタイプ」のエッセーで書いたが、ステレオタイプでない人間に染み付いたこういうカルチャーこそ、奥深いのだ。

「クッ」の挨拶は、いつの間に交わされてるのかも、黒人男性でない者には知る由もない。非常にさりげない。何千回も何万回も繰り返されるうちに身に付いた、体の一部みたいなもの。
直毛にパーマをかけてドレッドヘアにするとか、パンツずり下げファッションといった「カルチャー」からは、ほど遠い位置にある。

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B.P.Time
アメリカには、普通の時間とは別に、B.P.Time(Black People Time)というものが存在する。またはC.P.Time (Colored People Time)とも言われる、黒人タイム。

B.P.タイムというのは、簡単に言えば以下のようなもの。
世間一般の時間通りに事が始まらない。
世間一般の時間通りに、事が終わらず延長される。

ブラックコミュニティには、彼ら独特の時間の流れという物があって、その流儀がある。
とりわけ時間にきっかりとした国、日本で育った私にとっては、これに慣れるのに時間がかかった。。。。いや、いまだに理解に苦しむ点である。

例えば、夕方6時半開演のコンサートがシカゴのサウスサイド(黒人居住区)であった。チケットにはしっかりと「5時半開場。6時半開演」と明記してある。
指定席ではない。席は早い者がちである。当然いい席から埋まるであろう。「開演」というのは、私の、いや一般人の頭の中では、舞台の幕が上がる時間の事だ。あるいは司会者が挨拶をする時間である。だから私は、少しでもいい席を取るために、5時45分くらいには到着するつもりで準備した。

予定通り、5時45分に到着。会場に入ったら、「あれ? 誰も居ない。。。」
ちょっと早過ぎたかな?と思ったが、席に座って待つ事に。ところが6時になっても客は1人も来ない。6時半頃になってやっと黒人客たちが少し入って来た。もう開演の時間であるが、全く何も始まる気配すらない。
開演時間から1時間経った7時半過ぎ。随分と客も入って来て、やっと席が埋まって来た。
そして8時15分。やっと司会者の挨拶。遅れた事への謝罪は一切無く、最初から8時半くらいに開演する予定だったかのようにコンサートは始まった。

普通のコンサートなら、2時間くらいの長さが普通。長くて3時間だ。
ところがどっこい。このコンサートは始まるのも遅かったが、コンサートも長かった。会場を出たのは12時半。平日の夜である。

驚くのは、会場に来ている客たちから一言も「始まるのが遅いじゃないか」などという文句が漏れない事。そこの会場に居たアジア人は私1人であったが、イライラしていたのもおそらく私一人だったと思う。
元々客たちも来るのが遅いのであるが、時間に関して気が長いというか、最初からチケットに記載してある時間なんて当てにしていないのである。
夫に聞いたら、「B.P.タイムでは、6時半開演と書いてあったら6時半に家を出るんだよ」とこともなげに言われた。半分冗談であるが、これは半分本当なのだ。だって本当に人々は7時半頃に一番入って来ていたもの。

コンサートなどの催し物も遅れる&長いのが一般であるが、冠婚葬祭もそうなのである。ブラックコミュニティのお葬式、結婚式は時間通りに始まらない。
ひどかったのは、義理従姉妹エミリーの結婚式。10時に教会で結婚式だったが、始まったのが12時。ここでも招待客はおしゃべりで時間をつぶしているので、誰も遅れている事に文句を言わない。式が遅れたので、当然その後の披露宴もずれこんで遅くなる。披露宴の開始は予定よりも3時間遅れた。そう、式の方が遅れた上に長引いたからだ。
さすがに式でも待たされ、披露宴でも待たされた親戚には文句を言い始める人も居た。2時間くらいの遅れだったらOKだが、3時間は我慢出来ないということだろうか?
ここら辺の彼らの「我慢の限界」というのも理解できない。私にとっては30分の遅れでもう諦めているので、2時間、3時間になると呆れ返っている極地に達していて逆に感じなくなっているが。

マイケル・ジャクソンの盛大なメモリアルサービスが、全国生放送で大々的に流れたのも記憶に新しい。私はこの時義理両親の家に居て、当然義理両親も義理弟も皆観るんだろうな、と思っていた。
ところが、「開始時間」のちょっと前からソファに座って待っていたのは私だけ。誰も来ない。そしてテレビの中のメモリアルサービスも時間通りに始まらない。大分遅れている。開始どころか、ようやくジャクソンの家族の車が、お葬式会場からセンターに到着した。
しばらくしてから、義理弟がやって来た。「随分遅れてるよ。まだ始まってない」と私が言ったら、「当たり前じゃん! 黒人のお葬式だよ? 遅れるのが普通だよ」と言われた。そうか。。。うっかり肝心な事を忘れていた。マイケル・ジャクソンだからといって、放送時間があるからといって、例外ではなかった(笑)
いよいよサービスが始まった時、義理ママがテレビの前にやってきた。何と言うタイミング。まるで本当に始まる時間を分かっているかのように。こういう黒人的な時間のタイミングみたいなものは、体に刻まれていないとなかなか測るのが難しい。

「待ち合わせ時間の15分前には到着する」というような、日本の常識、日本の時間の観念。それを植え付けられている私には、このルーズさは考えられない文化なのであるが、郷に入りては郷に従え、なのである。
だが、もちろんアメリカでも日本人と会う時は日本式時間を使う。これをJ.P.Time (Japanese People Time)と我が家では呼ぶ(笑)。逆に夫は、このJ.P.タイムに最初驚きを隠せなかった。アメリカ人は黒人でなくとも、日本人程時間に厳しくはないから。

シカゴに来た日本人の友人や知人と待ち合わせして食事するときなど、夫を同伴する事も多い。会う相手は初対面の事もある。
待ち合わせの時間の10分前に行こうとする私に、夫は「なんでそんなに慌てるの? ちゃんと時間には着けるよ」と訝しがる。しかし待ち合わせ場所に着くと、既に相手は私たちより先に来ている事実に毎回夫はビックリする。「だから言ったでしょ?」となる。日本人って言うのはこういうものなのよ。
そして万が一遅れる場合、待ち合わせ時間ピッタリに携帯が鳴り、「ごめんなさい。ちょっと遅れる」だとか、謝罪の電話が入る。これにも夫は驚く。
日本人は時間に対してが一番礼儀正しいし、厳しいかもしれない。時間にルーズだということは、人間としての信頼を失う社会だから。

黒人がする事は何でも遅れるか?というと違うので、これまた黒人でない者にとっては感覚を把握するのが難しい。
彼らは、仕事に関して(職種にもよる)や、会う人によってはきちんと時間を守り、B.P.タイムが通用する所をちゃんと心得ている。
ブラックコミュニティの中から抜け出した事が無く、黒人経営の職場でしか働いた事が無い人は、完全に時間に甘やかされている。多少の遅刻で首にされる社会ではないから。そしてそれがコミュニティの外で通用しない事を知らない。
コミュニティの外に出た黒人たちは、体の中に「一般時間」と「B.P.タイム」が仕分けられていて、それを器用に使い分けるのだ。

私は一度、「黒人のバンドだから遅れるだろう」と思って撮影に行くのに遅れてしまった事がある。何故なら、彼らのコンサートは遅れるのが当然だと思っていたから。何度も待たされているから。
ところがなんと時間通りに始まって、時間通りに終わったのだ。私は最初の30分を逃した。
なんでそのバンドが時間通りに行ったかというと、主催者側が白人だったから。これもうっかりしていた事であった。

黒人でない者が、B.P.タイムを身につけるのは、どうも無理なようである。彼らがJ.P.タイムで動くのがきっと無理なように。

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Mami Takayama

Author:Mami Takayama
シカゴ在住のフォトグラファー&ライター。フォトグラファー的目線でブラックカルチャーを綴ります。

このブログを元に書籍化されたものが、「ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと」となって2011年11月18日発売されます! 発行元はスペースシャワーネットワーク。
ブログの記事に大幅加筆修正、書き下ろしを加えております。いい本に仕上がりました。乞うご期待!

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